2017.07.04
一縷の希望
一縷の希望
logbook #257 地獄温泉 清風荘
2016年1月 再訪レポ
2016年4月16日に熊本を襲った震度6強
マグニチュード7.3という阪神大震災に匹敵する大地震により
2日前の余震(震度7)で持ちこたえた家屋も次々と倒壊し
熊本市内でも観光地の熊本城の被害など数多くの爪痕を残しました
ワタシ達が何度も足を運んでいる南阿蘇村の被害も甚大で
国道57号線(肥後街道)と国道325号を結ぶ黒川にかけられた”阿蘇大橋”が完全に崩落していたのには言葉も出ませんでした
今回の災害で被害に遭われた方へのお見舞いを申し上げると共に、お亡くなりになられた方の遺族の皆様には
心よりお悔やみ申し上げます
世界トップクラスのカルデラを形成する阿蘇
周囲を外輪山に囲まれた阿蘇は東西18km 、南北25kmの広さを持ち
現在約5万人の人々が生活しています
カルデラの中心には中央火口丘群があり標高1000m~1600mの”阿蘇五岳”がそびえます
その中の一つ”烏帽子岳”(1337m)の中腹に湧く名湯があります
地獄温泉”清風荘”
江戸時代より続く歴史ある温泉で
当時は熊本藩主のみに入浴が許された細川藩指定の湯治湯
戦や政で傷ついた体を癒す格式高い湯として知られてきました
本館には文化5年(1808)に奉行所より定められた温泉利用の「掟」書が残っています
~清風荘HPより~ クリックすると拡大します
明治時代以降になってようやく一般庶民に解放され
湯治場として発展してきました
広い敷地には本館から自炊部、別館まで宿泊棟が並び
食事処のほか名物の混浴露天風呂の”すずめの湯”
隣接して男女別の内湯”元湯”
本館奥に男性露天風呂、女性専用露天風呂”仇討ちの湯”
宿泊者専用の貸切風呂”新湯”と家族風呂があります
~清風荘HPより~ クリックすると拡大します
4つの源泉を持つこの宿
敷地の裏山には火山ガスの噴出により草木の生えない源泉地帯があり
その場所が”地獄”と呼ばれたことから
”地獄温泉”の名前がついたとされます
日中や休日にはたくさんの人達で賑わう混浴の”すずめの湯”とは対照的な
平日の夜の静かなひと時
湯船を区分けする木枠には滑る止めとしての切り込みがあり
今では芸術的な”すずめの湯”の素敵なアクセントになっています
歴史を感じる屋根や太い梁と柱
柔らかい白熱球に照らされた”すずめの湯”はとても幻想的です
”すずめの湯”の源泉は足元からの自噴泉☆
まさに劣化することなく”生まれたて”のお湯がプクプクと湧き上がってきます
大地のエネルギーが小さな気泡となって湯面で弾ける時に”鳴く”音が
すずめの鳴き声に似ていることから”すずめの湯”の名前がついたとされています
”ぬるめのゆ(41℃)”と”あつめのゆ(46℃)”に分けられたお湯は単純酸性硫黄泉
”あつめ”の方はかなりの激熱で、とても入ることができませんでした...(汗)
どちらのお湯も、もちろん加水なしの100%掛け流しです
自噴する湯底には砂利が敷き詰められていて、すくい上げると見事な泥がありました
あまり人の入っていない”あつめのゆ”の方がたくさんの泥があるので
皆さんそちらから洗面器に泥をすくってきては
”ぬるめ”の湯船で体にパックをしたりして楽しんでいます
足元自噴する硫化水素系のお湯は中毒の危険性もつきものです
当然、このすずめの湯もガスの発生はあるのですが
微量の硫化水素は逆に体に良く、気管支炎に効果があるとされます
なので充満の危険をなくすために壁を作らず、半露天の作りになったそうです
昔からこの”すずめの湯”には全国から多くのファンが訪れ
老若男女分け隔たりなく良き時代の裸の付き合いがあり
いつも人々の楽しそうな語らいが響いていたそうです
そんな昔ながらの日常を引き裂くように起きてしまった大地震
今回の地震に追い打ちをかけるように
同年6月にこの地を襲った集中豪雨では
ついに宿の裏山が山ごと崩れ落ち
敷地のほとんどが多量の土砂で埋まってしまい
明治中期に建てられた本館の中にも土砂が入り込み
もはや復旧も難しい状況になってしまったそうです
あの歴史を感じさせた黒光りする柱や
歩くとギシギシを音を立てる廊下ももはや見る影もなく
廃墟のようになってしまった清風荘
普及作業に入りたくても
この辺りは生活道路も土砂で流され完全なる立ち入り禁止区域
なのでボランティアの手も回らない状況
当時試算された復旧金額は9億円にのぼったと言います
この宿の経営者であり現在の社長”河津誠さん”は
当時を振り返り”もはや絶望的”だったと語りました
でもさすが人気の老舗旅館
この宿を愛してやまない支持者達が
被災3日後には普及支援のフェイスブックを立ち上げ
自己責任のもと、述べ2000人を超える施設ボランティアが設立され
現在では多量の土砂を取り除くまでに至ったそうです
先日”ミヤネ屋”で被災1年後の地獄温泉の様子をレポートしていました
地震当日の時が止まったかのような客室
土砂の影響で建物の8割を立て替えなければならない状況
その中で”なんとか歴史ある本館だけは残したい”と話していました
2011年に亡くなった父親に変わり現社長になった河津誠さん
次男で副社長の謙二さん、三男で専務の進さんという兄弟で新たにスタート!という矢先での出来事でした
日々現場に足を運び私設ボランティアと共に瓦礫や土砂を取り除く作業が続くそんな中
誠さんの目に”一縷の希望”が見えたと言います
なんと一番の名物”すずめの湯”からはシューシューと音を立てて
”ここにいるよ!”言わんばかりに
数センチの穴から勢い良く湯気を吹き出していたのです
奇跡的に土砂の流入を免れたすずめの湯
今現在もコンコンとお湯が沸きだしているそうです
あるインタビューで誠さんは語っています
「温泉が発見されてから200年。これからまた、100年、200年続いていく長い歴史のなかではこういうこともあるだろうし、たまたま自分たちが行き当たっただけかな、とも思っています」と
「僕らはこれから200年後のために人生をささげる。南阿蘇の、旗振り役にならなければと思っています」
「僕らの今の姿を見れば、次の世代が仮に苦難に見舞われても、乗り越える力になるだろうと思う」
これは並大抵の気持ちで出る言葉ではありません
このすずめの湯の息吹がなかったら
ここまでの気持ちにはならなかっただろう
何年かかってでも以前の清風荘を取り戻すと笑顔で語る誠さん
普及どころか、これを機に九州一の観光地、旅館を目指しますと頼もしく話していました
今回の出来事で大きな気づきもあったそうです
”お湯は人が入らなければ機嫌が悪くなる”という事。
温度が一定にならなかったり、湯面に膜が張ってしまったり
人が住まなくなってしまった家が痛むのが早くなるのと同じ
沸いているだけでは”ただのお湯”だと
「人が入り、人が手入れをし、人が携わって初めて温泉」
きっと数年後
歴史に残る復活劇を遂げた清風荘と
湯守の名人”河津兄弟”の真の笑顔を見る日も
そう遠くはないと
改めて確信しました☆
そんな日を夢見て
ワタシにできる事のひとつとして
このレポートを残したいと思います
清風荘FBはこちらから
皆様の声援も宜しくお願いします
みうたん☆クローバーZの混浴ログ♪
【地獄温泉 清風荘】
~2016.1 訪問~
みうたんお気に入り度☆☆☆☆☆
【住所】 熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陽2327
【☎︎】 0967-67-0005
【入浴料】 600円
【入浴時間】 10:00~18:00
【定休日】 不定休(要確認)
熊本地震の影響で現在休業中
【HP】 地獄温泉 清風荘
参考であり、変更もしくは過去のデータである恐れがありますのでご理解ください
ブログランキング
どれかひとつに”おまけ”画像ありま~す☆
励みになります☆
混浴王を目指すワタシへポチっとお願いします♡
logbook #257 地獄温泉 清風荘
2016年1月 再訪レポ
2016年4月16日に熊本を襲った震度6強
マグニチュード7.3という阪神大震災に匹敵する大地震により
2日前の余震(震度7)で持ちこたえた家屋も次々と倒壊し
熊本市内でも観光地の熊本城の被害など数多くの爪痕を残しました
ワタシ達が何度も足を運んでいる南阿蘇村の被害も甚大で
国道57号線(肥後街道)と国道325号を結ぶ黒川にかけられた”阿蘇大橋”が完全に崩落していたのには言葉も出ませんでした
今回の災害で被害に遭われた方へのお見舞いを申し上げると共に、お亡くなりになられた方の遺族の皆様には
心よりお悔やみ申し上げます
世界トップクラスのカルデラを形成する阿蘇
周囲を外輪山に囲まれた阿蘇は東西18km 、南北25kmの広さを持ち
現在約5万人の人々が生活しています
カルデラの中心には中央火口丘群があり標高1000m~1600mの”阿蘇五岳”がそびえます
その中の一つ”烏帽子岳”(1337m)の中腹に湧く名湯があります
地獄温泉”清風荘”
江戸時代より続く歴史ある温泉で
当時は熊本藩主のみに入浴が許された細川藩指定の湯治湯
戦や政で傷ついた体を癒す格式高い湯として知られてきました
本館には文化5年(1808)に奉行所より定められた温泉利用の「掟」書が残っています
~清風荘HPより~ クリックすると拡大します
明治時代以降になってようやく一般庶民に解放され
湯治場として発展してきました
広い敷地には本館から自炊部、別館まで宿泊棟が並び
食事処のほか名物の混浴露天風呂の”すずめの湯”
隣接して男女別の内湯”元湯”
本館奥に男性露天風呂、女性専用露天風呂”仇討ちの湯”
宿泊者専用の貸切風呂”新湯”と家族風呂があります
~清風荘HPより~ クリックすると拡大します
4つの源泉を持つこの宿
敷地の裏山には火山ガスの噴出により草木の生えない源泉地帯があり
その場所が”地獄”と呼ばれたことから
”地獄温泉”の名前がついたとされます
日中や休日にはたくさんの人達で賑わう混浴の”すずめの湯”とは対照的な
平日の夜の静かなひと時
湯船を区分けする木枠には滑る止めとしての切り込みがあり
今では芸術的な”すずめの湯”の素敵なアクセントになっています
歴史を感じる屋根や太い梁と柱
柔らかい白熱球に照らされた”すずめの湯”はとても幻想的です
”すずめの湯”の源泉は足元からの自噴泉☆
まさに劣化することなく”生まれたて”のお湯がプクプクと湧き上がってきます
大地のエネルギーが小さな気泡となって湯面で弾ける時に”鳴く”音が
すずめの鳴き声に似ていることから”すずめの湯”の名前がついたとされています
”ぬるめのゆ(41℃)”と”あつめのゆ(46℃)”に分けられたお湯は単純酸性硫黄泉
”あつめ”の方はかなりの激熱で、とても入ることができませんでした...(汗)
どちらのお湯も、もちろん加水なしの100%掛け流しです
自噴する湯底には砂利が敷き詰められていて、すくい上げると見事な泥がありました
あまり人の入っていない”あつめのゆ”の方がたくさんの泥があるので
皆さんそちらから洗面器に泥をすくってきては
”ぬるめ”の湯船で体にパックをしたりして楽しんでいます
足元自噴する硫化水素系のお湯は中毒の危険性もつきものです
当然、このすずめの湯もガスの発生はあるのですが
微量の硫化水素は逆に体に良く、気管支炎に効果があるとされます
なので充満の危険をなくすために壁を作らず、半露天の作りになったそうです
昔からこの”すずめの湯”には全国から多くのファンが訪れ
老若男女分け隔たりなく良き時代の裸の付き合いがあり
いつも人々の楽しそうな語らいが響いていたそうです
そんな昔ながらの日常を引き裂くように起きてしまった大地震
今回の地震に追い打ちをかけるように
同年6月にこの地を襲った集中豪雨では
ついに宿の裏山が山ごと崩れ落ち
敷地のほとんどが多量の土砂で埋まってしまい
明治中期に建てられた本館の中にも土砂が入り込み
もはや復旧も難しい状況になってしまったそうです
あの歴史を感じさせた黒光りする柱や
歩くとギシギシを音を立てる廊下ももはや見る影もなく
廃墟のようになってしまった清風荘
普及作業に入りたくても
この辺りは生活道路も土砂で流され完全なる立ち入り禁止区域
なのでボランティアの手も回らない状況
当時試算された復旧金額は9億円にのぼったと言います
この宿の経営者であり現在の社長”河津誠さん”は
当時を振り返り”もはや絶望的”だったと語りました
でもさすが人気の老舗旅館
この宿を愛してやまない支持者達が
被災3日後には普及支援のフェイスブックを立ち上げ
自己責任のもと、述べ2000人を超える施設ボランティアが設立され
現在では多量の土砂を取り除くまでに至ったそうです
先日”ミヤネ屋”で被災1年後の地獄温泉の様子をレポートしていました
地震当日の時が止まったかのような客室
土砂の影響で建物の8割を立て替えなければならない状況
その中で”なんとか歴史ある本館だけは残したい”と話していました
2011年に亡くなった父親に変わり現社長になった河津誠さん
次男で副社長の謙二さん、三男で専務の進さんという兄弟で新たにスタート!という矢先での出来事でした
日々現場に足を運び私設ボランティアと共に瓦礫や土砂を取り除く作業が続くそんな中
誠さんの目に”一縷の希望”が見えたと言います
なんと一番の名物”すずめの湯”からはシューシューと音を立てて
”ここにいるよ!”言わんばかりに
数センチの穴から勢い良く湯気を吹き出していたのです
奇跡的に土砂の流入を免れたすずめの湯
今現在もコンコンとお湯が沸きだしているそうです
あるインタビューで誠さんは語っています
「温泉が発見されてから200年。これからまた、100年、200年続いていく長い歴史のなかではこういうこともあるだろうし、たまたま自分たちが行き当たっただけかな、とも思っています」と
「僕らはこれから200年後のために人生をささげる。南阿蘇の、旗振り役にならなければと思っています」
「僕らの今の姿を見れば、次の世代が仮に苦難に見舞われても、乗り越える力になるだろうと思う」
これは並大抵の気持ちで出る言葉ではありません
このすずめの湯の息吹がなかったら
ここまでの気持ちにはならなかっただろう
何年かかってでも以前の清風荘を取り戻すと笑顔で語る誠さん
普及どころか、これを機に九州一の観光地、旅館を目指しますと頼もしく話していました
今回の出来事で大きな気づきもあったそうです
”お湯は人が入らなければ機嫌が悪くなる”という事。
温度が一定にならなかったり、湯面に膜が張ってしまったり
人が住まなくなってしまった家が痛むのが早くなるのと同じ
沸いているだけでは”ただのお湯”だと
「人が入り、人が手入れをし、人が携わって初めて温泉」
きっと数年後
歴史に残る復活劇を遂げた清風荘と
湯守の名人”河津兄弟”の真の笑顔を見る日も
そう遠くはないと
改めて確信しました☆
そんな日を夢見て
ワタシにできる事のひとつとして
このレポートを残したいと思います
清風荘FBはこちらから
皆様の声援も宜しくお願いします
みうたん☆クローバーZの混浴ログ♪
【地獄温泉 清風荘】
~2016.1 訪問~
みうたんお気に入り度☆☆☆☆☆
【住所】 熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陽2327
【☎︎】 0967-67-0005
【入浴料】 600円
【入浴時間】 10:00~18:00
【定休日】 不定休(要確認)
熊本地震の影響で現在休業中
【HP】 地獄温泉 清風荘
参考であり、変更もしくは過去のデータである恐れがありますのでご理解ください
ブログランキング
どれかひとつに”おまけ”画像ありま~す☆
励みになります☆
混浴王を目指すワタシへポチっとお願いします♡
2017.06.27
復興にむけて
復興にむけて
logbook #256 垂玉温泉 山口旅館
2016年4月14日21時26分
何気なく自宅でテレビを見ていたワタシの目に飛び込んできたのは緊急地震速報
熊本を震源とする地震”震度7 マグニチュード6.5”
地震の直撃を受けた益城町の様子が映し出されていました
熊本はワタシ達も幾度となく訪れている大好きな場所
温泉の方は大丈夫かな~と心配したのを覚えています
でも、この時の地震は”余震”に過ぎず
二日後の4月16日の深夜1時25分に震度6強
マグニチュード7.3の本震が再度熊本を襲いました
これは阪神淡路大震災規模に匹敵するほどの規模
余震では耐えた家屋や建物も、多くが倒壊してしまいました
夜明けと共に、その被害の拡大が次々と映し出されます
加藤清正の築城した熊本城や歴史ある阿蘇神社の倒壊
何よりも数ヶ月前にワタシ達も渡った”阿蘇大橋”が山ごと崩落していたのには
ただただ言葉が出なかったです
被害に遭われた方へ改めてお見舞い申し上げます
今回の地震にての関連死は200名を超えました
重ねてご遺族の方々にもお悔やみ申し上げます
~朝日新聞デジタルより~
とっさに頭の中に浮かんだのは垂玉温泉や地獄温泉の事
その後のニュースや情報から目が離せずにいました
地震大国である日本に住んでいる事、そして自然の恩恵を受けているワタシ達にとって
避けては通れない災害でした
2016年1月
熊本地震の3ヶ月前に訪れていた垂玉温泉 山口旅館
現在はなかなか進まぬ復旧作業のため休業中ですが
今のワタシに出来る事として
この温泉の素晴らしさをお伝えしようと思います
夜の山口旅館の玄関 老舗旅館の風情を感じます
歴史を感じる外観に対して、玄関ロビーは現代風に改装されています
世界屈指のカルデラを持つ阿蘇
約27万年前から約9万年前までの間に4回にわたる巨大噴火を起こし
全方位に広がった巨大火砕流は九州全域を壊滅状態にするほどのエネルギーでした
その時に形成された見事なカルデラは南北25km、東西18kmの外輪山を持ち
中心部に中央火口丘である”阿蘇五岳(ごがく)”があります
その西斜面を流れる垂玉川の脇、阿蘇五岳のひとつ烏帽子岳(1337m)の中腹に古くから湧く
素晴らしい”いで湯”があります
阿蘇の標高667mにある渓流沿いの一軒宿「垂玉温泉 山口旅館」
江戸時代の文化年間(1804~1818)に200年以上前にこの地にあった「金龍山 垂玉寺」の修行者によって発見され
後の江戸末期に近隣の高森町より移り住んだ山口太八郎氏が初代温泉主となり湯治のための湯小屋を開きました
阿蘇カルデラから九十九折の車道を自費で開き、敷地を広くし浴舎を改築するなど徐々に作り上げられ、明治19年(1886年)に創業された130年の歴史を誇る老舗旅館☆現在の若旦那さんで8代目を数えます
収容人数128名の規模を誇る山口旅館は
玄関のある本館をはじめ西館・東館・南館・別館に分かれ
共に総二階の古めかしさの残る館内
庭園のある敷地に一旦に出ると男女別の大浴場と茅葺屋根の男女別湯小屋がありました
ワタシ達の目的である混浴露天風呂「滝の湯」は玄関より出て少し歩いた先
目の前の金龍山のより流れ落ちる”金龍の滝”の滝壺近くにあります
立ち寄り入浴では敷地内のお風呂のみの使用なので
「滝の湯」へ入浴するためには宿泊が必須となります
岩で固められた広めの湯船は温泉成分によって見事な色に塗られています
お湯はうっすらと濁りのあるお湯で少々金気臭を感じる単純硫化水素泉
源泉温度は52度なので、おそらく湯船に注がれる中で自然冷却されているのでしょう
湯加減は程よく体の芯から温めてくれます
ちなみに山口旅館の源泉は目の前にある”金龍の滝”の滝壺にあるとの事です
ここから車で2~3分登ったところにも有名な”地獄温泉 清風荘”があり
同じ温泉地と分類してもいいのではと思ったのですが
全く違う源泉を使用しているため別温泉地にしているそうです
細かな湯の花がお湯に舞い”たまごスープ”の様
長い歴史の中で彩られた湯船の岩
自然に積み重ねられた温泉成分のアートに目をやり
阿蘇の大自然の中、傍を流れる渓流と目の前の滝の音に耳をすませると
なんとも言えない贅沢感に包まれます
そんな風に多くの人の心を癒し続けてきた垂玉温泉が
今回の地震によって壊滅的打撃を受けてしまうなんて
この時は夢にも思いませんでした
震災直後は本館の玄関前にも多くの土砂が流れ込み
館内はもはや修復不可能な状態に
何よりも垂玉の目玉でもある混浴露天風呂の「滝の湯」は背後の山ごと崩れ落ち
金龍の滝ごと完全に土砂で飲み込まれてしまい
ワタシもニュースでその光景を見た時には愕然としました
~タルタマブログより~
震災直後は温泉地までの道路が土砂により寸断され
山口旅館と地獄温泉の宿泊客・従業員67名が孤立していましたが
自衛隊のヘリにより救出される映像がニュースで流れていました
8代目の山口雄也さんも宿泊客に何事もなかった事がせめてもの救いだと話していました
地震から1年経った今でも、思う様に復旧作業は進まず
依然、宿に続く道路は不通のままだそうです
現在までは南阿蘇道路からの応急道路を利用し
ボランティアの方達と共に作業をしていましたが
9月までには本格的な復旧工事に入るため
完全に通行止めとなるそうです
多量の土砂に埋もれてしまった混浴露天風呂の工事は現状では厳しいどころか
旅館という形で復活できるかわからないと山口さんは語ります
今後の資金面・雇用面のみならず、いつまた災害が来るかという危険性などの安全面など問題は山積みとの事
補助金のための事業計画書を作らなければならないそうですが
中身を考えるだけでも頭を悩ませているそうです
改めて自然の脅威の中では何もできないという事
その現実をまざまざと見せつけられました
しとしとと降る雨の中、夜の露天風呂もまた格別です
文豪の宿としても知られる山口旅館
1907年(明治40年)に与謝野鉄幹が当時学生だった北原白秋をはじめ
吉井勇、木下杢太郎、平野万里を連れて九州を回った際にこの宿を訪れ投宿し
のちに紀行文「五足の靴」を発表しています
1986年には野口雨情も宿泊するなど文人ゆかりの宿
玄関ロビーにも関連する資料が展示してありました
彼らもまた
この現状を知ったとしたら
さぞかし嘆く事でしょう
いつになるかはわかりませんが
どんな形であるにせよ
山口旅館が復活してくれる事を
ワタシは心から信じています
その時には
またこの地を訪れ
素晴らしいお湯を楽しみたいと思います
山口旅館のブログ
タルタマブログ
ぜひ皆さんからの応援の声をおくりましょう☆
みうたん☆クローバーZの混浴ログ♪
【垂玉温泉 山口旅館】
~2016.1.5訪問~
みうたんお気に入り度☆☆☆☆☆
【住所】 熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陽2331
【☎︎】 0967-67-0006
【入浴料】 600円 混浴露天風呂"滝の湯”は宿泊者専用
【入浴時間】 11:00~15:00
【定休日】 不定休(要確認)
現在は熊本地震の影響で休業中
【HP】 山口旅館HP
参考であり、変更もしくは過去のデータである恐れがありますのでご理解ください
ブログランキング
どれかひとつに”おまけ”画像ありま~す☆
励みになります☆
混浴王を目指すワタシへポチっとお願いします♡
logbook #256 垂玉温泉 山口旅館
2016年4月14日21時26分
何気なく自宅でテレビを見ていたワタシの目に飛び込んできたのは緊急地震速報
熊本を震源とする地震”震度7 マグニチュード6.5”
地震の直撃を受けた益城町の様子が映し出されていました
熊本はワタシ達も幾度となく訪れている大好きな場所
温泉の方は大丈夫かな~と心配したのを覚えています
でも、この時の地震は”余震”に過ぎず
二日後の4月16日の深夜1時25分に震度6強
マグニチュード7.3の本震が再度熊本を襲いました
これは阪神淡路大震災規模に匹敵するほどの規模
余震では耐えた家屋や建物も、多くが倒壊してしまいました
夜明けと共に、その被害の拡大が次々と映し出されます
加藤清正の築城した熊本城や歴史ある阿蘇神社の倒壊
何よりも数ヶ月前にワタシ達も渡った”阿蘇大橋”が山ごと崩落していたのには
ただただ言葉が出なかったです
被害に遭われた方へ改めてお見舞い申し上げます
今回の地震にての関連死は200名を超えました
重ねてご遺族の方々にもお悔やみ申し上げます
~朝日新聞デジタルより~
とっさに頭の中に浮かんだのは垂玉温泉や地獄温泉の事
その後のニュースや情報から目が離せずにいました
地震大国である日本に住んでいる事、そして自然の恩恵を受けているワタシ達にとって
避けては通れない災害でした
2016年1月
熊本地震の3ヶ月前に訪れていた垂玉温泉 山口旅館
現在はなかなか進まぬ復旧作業のため休業中ですが
今のワタシに出来る事として
この温泉の素晴らしさをお伝えしようと思います
夜の山口旅館の玄関 老舗旅館の風情を感じます
歴史を感じる外観に対して、玄関ロビーは現代風に改装されています
世界屈指のカルデラを持つ阿蘇
約27万年前から約9万年前までの間に4回にわたる巨大噴火を起こし
全方位に広がった巨大火砕流は九州全域を壊滅状態にするほどのエネルギーでした
その時に形成された見事なカルデラは南北25km、東西18kmの外輪山を持ち
中心部に中央火口丘である”阿蘇五岳(ごがく)”があります
その西斜面を流れる垂玉川の脇、阿蘇五岳のひとつ烏帽子岳(1337m)の中腹に古くから湧く
素晴らしい”いで湯”があります
阿蘇の標高667mにある渓流沿いの一軒宿「垂玉温泉 山口旅館」
江戸時代の文化年間(1804~1818)に200年以上前にこの地にあった「金龍山 垂玉寺」の修行者によって発見され
後の江戸末期に近隣の高森町より移り住んだ山口太八郎氏が初代温泉主となり湯治のための湯小屋を開きました
阿蘇カルデラから九十九折の車道を自費で開き、敷地を広くし浴舎を改築するなど徐々に作り上げられ、明治19年(1886年)に創業された130年の歴史を誇る老舗旅館☆現在の若旦那さんで8代目を数えます
収容人数128名の規模を誇る山口旅館は
玄関のある本館をはじめ西館・東館・南館・別館に分かれ
共に総二階の古めかしさの残る館内
庭園のある敷地に一旦に出ると男女別の大浴場と茅葺屋根の男女別湯小屋がありました
ワタシ達の目的である混浴露天風呂「滝の湯」は玄関より出て少し歩いた先
目の前の金龍山のより流れ落ちる”金龍の滝”の滝壺近くにあります
立ち寄り入浴では敷地内のお風呂のみの使用なので
「滝の湯」へ入浴するためには宿泊が必須となります
岩で固められた広めの湯船は温泉成分によって見事な色に塗られています
お湯はうっすらと濁りのあるお湯で少々金気臭を感じる単純硫化水素泉
源泉温度は52度なので、おそらく湯船に注がれる中で自然冷却されているのでしょう
湯加減は程よく体の芯から温めてくれます
ちなみに山口旅館の源泉は目の前にある”金龍の滝”の滝壺にあるとの事です
ここから車で2~3分登ったところにも有名な”地獄温泉 清風荘”があり
同じ温泉地と分類してもいいのではと思ったのですが
全く違う源泉を使用しているため別温泉地にしているそうです
細かな湯の花がお湯に舞い”たまごスープ”の様
長い歴史の中で彩られた湯船の岩
自然に積み重ねられた温泉成分のアートに目をやり
阿蘇の大自然の中、傍を流れる渓流と目の前の滝の音に耳をすませると
なんとも言えない贅沢感に包まれます
そんな風に多くの人の心を癒し続けてきた垂玉温泉が
今回の地震によって壊滅的打撃を受けてしまうなんて
この時は夢にも思いませんでした
震災直後は本館の玄関前にも多くの土砂が流れ込み
館内はもはや修復不可能な状態に
何よりも垂玉の目玉でもある混浴露天風呂の「滝の湯」は背後の山ごと崩れ落ち
金龍の滝ごと完全に土砂で飲み込まれてしまい
ワタシもニュースでその光景を見た時には愕然としました
~タルタマブログより~
震災直後は温泉地までの道路が土砂により寸断され
山口旅館と地獄温泉の宿泊客・従業員67名が孤立していましたが
自衛隊のヘリにより救出される映像がニュースで流れていました
8代目の山口雄也さんも宿泊客に何事もなかった事がせめてもの救いだと話していました
地震から1年経った今でも、思う様に復旧作業は進まず
依然、宿に続く道路は不通のままだそうです
現在までは南阿蘇道路からの応急道路を利用し
ボランティアの方達と共に作業をしていましたが
9月までには本格的な復旧工事に入るため
完全に通行止めとなるそうです
多量の土砂に埋もれてしまった混浴露天風呂の工事は現状では厳しいどころか
旅館という形で復活できるかわからないと山口さんは語ります
今後の資金面・雇用面のみならず、いつまた災害が来るかという危険性などの安全面など問題は山積みとの事
補助金のための事業計画書を作らなければならないそうですが
中身を考えるだけでも頭を悩ませているそうです
改めて自然の脅威の中では何もできないという事
その現実をまざまざと見せつけられました
しとしとと降る雨の中、夜の露天風呂もまた格別です
文豪の宿としても知られる山口旅館
1907年(明治40年)に与謝野鉄幹が当時学生だった北原白秋をはじめ
吉井勇、木下杢太郎、平野万里を連れて九州を回った際にこの宿を訪れ投宿し
のちに紀行文「五足の靴」を発表しています
1986年には野口雨情も宿泊するなど文人ゆかりの宿
玄関ロビーにも関連する資料が展示してありました
彼らもまた
この現状を知ったとしたら
さぞかし嘆く事でしょう
いつになるかはわかりませんが
どんな形であるにせよ
山口旅館が復活してくれる事を
ワタシは心から信じています
その時には
またこの地を訪れ
素晴らしいお湯を楽しみたいと思います
山口旅館のブログ
タルタマブログ
ぜひ皆さんからの応援の声をおくりましょう☆
みうたん☆クローバーZの混浴ログ♪
【垂玉温泉 山口旅館】
~2016.1.5訪問~
みうたんお気に入り度☆☆☆☆☆
【住所】 熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陽2331
【☎︎】 0967-67-0006
【入浴料】 600円 混浴露天風呂"滝の湯”は宿泊者専用
【入浴時間】 11:00~15:00
【定休日】 不定休(要確認)
現在は熊本地震の影響で休業中
【HP】 山口旅館HP
参考であり、変更もしくは過去のデータである恐れがありますのでご理解ください
ブログランキング
どれかひとつに”おまけ”画像ありま~す☆
励みになります☆
混浴王を目指すワタシへポチっとお願いします♡
2017.04.08
はげのゆ??
はげのゆ??
logbook #247 はげの湯温泉 旅館山翠
九州の中央部に位置し雄大なカルデラや
爽快な風景を楽しめる「阿蘇くじゅう国立公園」
巨大な屏風のように立ち並ぶ外輪山の姿は
まさに火山の国のエネルギーを感じることができます
当然ワタシたちにとっては”火山あるところに名湯あり”
このエリアにはたくさんの温泉が存在し
未だ混浴の文化も数多く残る場所でもあります
今回足を運んだのは「阿蘇くじゅう国立公園」の一角をなす九重連山の西端
標高1499mの湧蓋(わいたさん)山の西麓にある静かな温泉集落「はげの湯温泉」
”!”と思えるような強烈なネーミング(笑)
波平さん的な?いやいや...毛乳頭に温泉効果を発揮する...でもなく
温泉の蒸気などで草や植物が育たない場所をこの辺りでは”はげ”と言うらしく
そこからこのユニークな名前がついたようです
そんな”はげ”が彼方此方にあるであろうこの風景☆
山の斜面に広がる日本の原風景ですが
集落のいたる所からもうもうと湯けむりが上がっています
はげの湯に足を踏み入れた途端に
温泉ファンなら声を上げてしまうこの風景
思わずカレも車を止め写真に収めた一枚ですが
実はこの同じ景色を
シュールなタッチで独自の世界観を描く”つげ義春”さんも
昭和40年代に発表した「旅のスケッチ」で紹介していました
おお~♪
当時は地元の人しか知らないような静かな湯治場だった事が
まさに秘湯自炊という”つげワールド”にぴったりだったのでしょう
しかしその後の秘湯ブームによる観光客の急激な増加により
ほとんどの宿がリニューアル化
当時の面影は見る事が出来ないそうです
それでも、この原風景や
もうもうと上がる湯けむりは昔と変わらずで
現在は4軒の宿と1軒の日帰り温泉施設、1軒の共同湯があり
なによりも豊富なお湯と効能で
多くの温泉ファンに支持されています
現在はげの湯温泉にて混浴可能な宿は一件
「旅館 山翠」です
この宿も2000年にリニューアルした宿で
本館別館共とても綺麗な宿です
本館で立ち寄り湯の受付をし、目の前の坂道を登り別館に向かいます
建物の中に入ると湯上り処のスペースも大きく作られており
ゆっくりと休憩する事も出きます
この宿の目玉はなんといっても18もあるお風呂♪
混浴露天風呂”仙人の湯”をはじめ
1つの女性専用露天風呂と2つの女性用内湯
1つの男性専用露天風呂と2つの男性用内湯
そしてなんと!"11"もある貸切露天風呂が凄い☆
まさに温泉パラダイス
...欲を言えば”混浴”風呂をもう少し多くしてほしいかなぁ
混浴風呂へは、いくつかあるお風呂を過ぎて一番奥の小屋へ向かいます
男女別の脱衣所があり、女性用は完全に小屋内なのですが
男性脱衣所は小屋の外側に棚とカゴが用意された簡易的な作りです
湯船は広く瓢箪のような形をしていて
くびれた部分に大きな岩が組まれていて
それぞれの脱女から出ると”一応”、男性ゾーンと女性ゾーンを分けているようでした
お湯は少し熱めの無色透明アルカリ単純泉
源泉温度は97度で男女の間の大きな岩からお湯が注がれています
白い温泉成分が、びっしりとこびり付いているで
硫黄成分も含まれると思います
「阿蘇くじゅう国立公園」のくじゅう連山エリアは贅沢なくらい温泉の宝庫☆
湧蓋山周辺には特に混浴も多く残っており
山の西側にはココ「はげの湯温泉」をはじめ岳の湯、地獄谷、山川、麻生釣、鈴ヶ谷からなる”わいた温泉郷”
山の東側には「筋湯温泉」や「筌ノ口温泉」をはじめとした”九重九湯”と
いっその事、同じ温泉郷にしてもいいほどの距離にあるのですが
湧蓋山を分断するように県境が走っている事で区別しているのでしょうね
更には大分県側には壁湯温泉や川底温泉、ちょっと走ると天ヶ瀬温泉
熊本県側には黒川温泉、満願寺温泉、扇温泉と混浴の残る温泉地がい~っぱい♡
2~3日滞在しても回りきれないほどです
混浴露天風呂「仙人の湯」はこの宿の敷地内のみならず
小国町で最も標高の高い800mの場所にあり
露天風呂からは遥か先に雄大な阿蘇の外輪山を望む事ができます
の~んびりお湯に浸かりながら
眼下に広がる田園風景と湯煙を眺めてたら
あまりにもリラックスしすぎて
社会復帰できなくなっちゃうかも(笑)
次回はぜひともお泊りで来ようと思います
この宿のもう一つの目玉である郷土料理
はげの湯温泉のいたるところから吹き上がる蒸気を利用した”蒸し料理”も食べてみたいし☆
あ~こんな至福の時間
やっぱり必要ですね♪
みうたん☆クローバーZの混浴ログ♪
みうたんお気に入り度☆☆☆☆
【住所】 熊本県阿蘇郡小国町西里3044
【☎︎】 0967-46-4547
【入浴料】 500円
【入浴時間】 8:00~15:00
【定休日】 不定休(要確認)
【HP】 旅館 山翠HP
参考であり、変更もしくは過去のデータである恐れがありますのでご理解ください
ブログランキング
どれかひとつに”おまけ”画像ありま~す☆
励みになります☆
混浴王を目指すワタシへポチっとお願いします♡
logbook #247 はげの湯温泉 旅館山翠
九州の中央部に位置し雄大なカルデラや
爽快な風景を楽しめる「阿蘇くじゅう国立公園」
巨大な屏風のように立ち並ぶ外輪山の姿は
まさに火山の国のエネルギーを感じることができます
当然ワタシたちにとっては”火山あるところに名湯あり”
このエリアにはたくさんの温泉が存在し
未だ混浴の文化も数多く残る場所でもあります
今回足を運んだのは「阿蘇くじゅう国立公園」の一角をなす九重連山の西端
標高1499mの湧蓋(わいたさん)山の西麓にある静かな温泉集落「はげの湯温泉」
”!”と思えるような強烈なネーミング(笑)
波平さん的な?いやいや...毛乳頭に温泉効果を発揮する...でもなく
温泉の蒸気などで草や植物が育たない場所をこの辺りでは”はげ”と言うらしく
そこからこのユニークな名前がついたようです
そんな”はげ”が彼方此方にあるであろうこの風景☆
山の斜面に広がる日本の原風景ですが
集落のいたる所からもうもうと湯けむりが上がっています
はげの湯に足を踏み入れた途端に
温泉ファンなら声を上げてしまうこの風景
思わずカレも車を止め写真に収めた一枚ですが
実はこの同じ景色を
シュールなタッチで独自の世界観を描く”つげ義春”さんも
昭和40年代に発表した「旅のスケッチ」で紹介していました
おお~♪
当時は地元の人しか知らないような静かな湯治場だった事が
まさに秘湯自炊という”つげワールド”にぴったりだったのでしょう
しかしその後の秘湯ブームによる観光客の急激な増加により
ほとんどの宿がリニューアル化
当時の面影は見る事が出来ないそうです
それでも、この原風景や
もうもうと上がる湯けむりは昔と変わらずで
現在は4軒の宿と1軒の日帰り温泉施設、1軒の共同湯があり
なによりも豊富なお湯と効能で
多くの温泉ファンに支持されています
現在はげの湯温泉にて混浴可能な宿は一件
「旅館 山翠」です
この宿も2000年にリニューアルした宿で
本館別館共とても綺麗な宿です
本館で立ち寄り湯の受付をし、目の前の坂道を登り別館に向かいます
建物の中に入ると湯上り処のスペースも大きく作られており
ゆっくりと休憩する事も出きます
この宿の目玉はなんといっても18もあるお風呂♪
混浴露天風呂”仙人の湯”をはじめ
1つの女性専用露天風呂と2つの女性用内湯
1つの男性専用露天風呂と2つの男性用内湯
そしてなんと!"11"もある貸切露天風呂が凄い☆
まさに温泉パラダイス
...欲を言えば”混浴”風呂をもう少し多くしてほしいかなぁ
混浴風呂へは、いくつかあるお風呂を過ぎて一番奥の小屋へ向かいます
男女別の脱衣所があり、女性用は完全に小屋内なのですが
男性脱衣所は小屋の外側に棚とカゴが用意された簡易的な作りです
湯船は広く瓢箪のような形をしていて
くびれた部分に大きな岩が組まれていて
それぞれの脱女から出ると”一応”、男性ゾーンと女性ゾーンを分けているようでした
お湯は少し熱めの無色透明アルカリ単純泉
源泉温度は97度で男女の間の大きな岩からお湯が注がれています
白い温泉成分が、びっしりとこびり付いているで
硫黄成分も含まれると思います
「阿蘇くじゅう国立公園」のくじゅう連山エリアは贅沢なくらい温泉の宝庫☆
湧蓋山周辺には特に混浴も多く残っており
山の西側にはココ「はげの湯温泉」をはじめ岳の湯、地獄谷、山川、麻生釣、鈴ヶ谷からなる”わいた温泉郷”
山の東側には「筋湯温泉」や「筌ノ口温泉」をはじめとした”九重九湯”と
いっその事、同じ温泉郷にしてもいいほどの距離にあるのですが
湧蓋山を分断するように県境が走っている事で区別しているのでしょうね
更には大分県側には壁湯温泉や川底温泉、ちょっと走ると天ヶ瀬温泉
熊本県側には黒川温泉、満願寺温泉、扇温泉と混浴の残る温泉地がい~っぱい♡
2~3日滞在しても回りきれないほどです
混浴露天風呂「仙人の湯」はこの宿の敷地内のみならず
小国町で最も標高の高い800mの場所にあり
露天風呂からは遥か先に雄大な阿蘇の外輪山を望む事ができます
の~んびりお湯に浸かりながら
眼下に広がる田園風景と湯煙を眺めてたら
あまりにもリラックスしすぎて
社会復帰できなくなっちゃうかも(笑)
次回はぜひともお泊りで来ようと思います
この宿のもう一つの目玉である郷土料理
はげの湯温泉のいたるところから吹き上がる蒸気を利用した”蒸し料理”も食べてみたいし☆
あ~こんな至福の時間
やっぱり必要ですね♪
みうたん☆クローバーZの混浴ログ♪
みうたんお気に入り度☆☆☆☆
【住所】 熊本県阿蘇郡小国町西里3044
【☎︎】 0967-46-4547
【入浴料】 500円
【入浴時間】 8:00~15:00
【定休日】 不定休(要確認)
【HP】 旅館 山翠HP
参考であり、変更もしくは過去のデータである恐れがありますのでご理解ください
ブログランキング
どれかひとつに”おまけ”画像ありま~す☆
励みになります☆
混浴王を目指すワタシへポチっとお願いします♡
2014.03.15
田園風景の中の温泉♪
田園風景の中の温泉♪
logbook #102 菊鹿温泉 菊翠苑
菊鹿(きくか)町は
熊本市の北に位置し
拓けた田園風景と古い街並
1300年前に大和朝廷により
築城された古代の山城
『鞠智(くくち・きくち)城』
で知られる町です
かつては合瀬川温泉と
呼ばれていた菊鹿温泉も
1300年の歴史を誇る温泉で
良質な肌触りのお湯は
「化粧の湯」として知られる
肌に柔らかな弱アルカリ性の泉質
飲泉にもオススメですよ☆
現在5軒程の温泉宿があります
混浴温泉はこの“菊翠苑”
男女別の内湯と露天風呂の間に
東屋風の混浴露天風呂が☆
無色透明のお湯に
湯の花がうっすら舞っていました
立ち上がれば
なんとか菊鹿の町を
見渡せるかも♪
緑の木々に包まれた露天風呂は
とっても気持ちよく
開放的です☆
ただ開放的になりすぎて
ワタシみたいに
間違って男湯に行っちゃダメですよ!
“間違えた~!”(笑)
みうたん☆クローバーZの混浴ログ♪
【菊翠苑】
みうたんお気に入り度☆☆☆
【住所】 熊本県山鹿市菊鹿町木野3868
【☎︎】 0968-48-2066
【入浴料】 300円
【入浴時間】 10:00~21:00
【定休日】 不定休
【HP】 菊翠苑HP
参考であり、変更もしくは過去のデータである恐れがありますのでご理解ください
logbook #102 菊鹿温泉 菊翠苑
菊鹿(きくか)町は
熊本市の北に位置し
拓けた田園風景と古い街並
1300年前に大和朝廷により
築城された古代の山城
『鞠智(くくち・きくち)城』
で知られる町です
かつては合瀬川温泉と
呼ばれていた菊鹿温泉も
1300年の歴史を誇る温泉で
良質な肌触りのお湯は
「化粧の湯」として知られる
肌に柔らかな弱アルカリ性の泉質
飲泉にもオススメですよ☆
現在5軒程の温泉宿があります
混浴温泉はこの“菊翠苑”
男女別の内湯と露天風呂の間に
東屋風の混浴露天風呂が☆
無色透明のお湯に
湯の花がうっすら舞っていました
立ち上がれば
なんとか菊鹿の町を
見渡せるかも♪
緑の木々に包まれた露天風呂は
とっても気持ちよく
開放的です☆
ただ開放的になりすぎて
ワタシみたいに
間違って男湯に行っちゃダメですよ!
“間違えた~!”(笑)
みうたん☆クローバーZの混浴ログ♪
【菊翠苑】
みうたんお気に入り度☆☆☆
【住所】 熊本県山鹿市菊鹿町木野3868
【☎︎】 0968-48-2066
【入浴料】 300円
【入浴時間】 10:00~21:00
【定休日】 不定休
【HP】 菊翠苑HP
参考であり、変更もしくは過去のデータである恐れがありますのでご理解ください
2014.03.15
すずめの湯♪
すずめの湯♪
logbook #101 地獄温泉 清風荘
“火の国”熊本県と言えば
黒川温泉が有名ですが
湯治の湯として根強い人気を誇るのが
阿蘇五岳、鳥帽子岳に湧く
地獄温泉 清風荘ですね
秘湯感漂う宿で
特に本館は
明治時代に建築された
歴史あるものです
清風荘といえば混浴露天風呂の
「すすめの湯」です
升のように区切られた湯船で
泥の溜まった湯底からは
プクプクと自噴しているのが分かります
湯治の方々は皆
泥を各所に塗り付け
身体を癒しています
日帰り入浴も遅くまで
受け付けている様です
泥の灰色というか白色というか
効能がバッチリ感じられる
鄙びた雰囲気抜群の
温泉宿です
終始、入浴時間にお客さんが多く
撮影ができませんでした
再訪の時に
またチャレンジします!
みうたん☆クローバーZの混浴ログ♪
【地獄温泉 清風荘】
みうたんお気に入り度☆☆☆☆
【住所】 熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陽2331
【☎︎】 0967-67-0005
【入浴料】 500円
【入浴時間】 要確認
【定休日】 不定休
【HP】 地獄温泉 清風荘
参考であり、変更もしくは過去のデータである恐れがありますのでご理解ください
logbook #101 地獄温泉 清風荘
“火の国”熊本県と言えば
黒川温泉が有名ですが
湯治の湯として根強い人気を誇るのが
阿蘇五岳、鳥帽子岳に湧く
地獄温泉 清風荘ですね
秘湯感漂う宿で
特に本館は
明治時代に建築された
歴史あるものです
清風荘といえば混浴露天風呂の
「すすめの湯」です
升のように区切られた湯船で
泥の溜まった湯底からは
プクプクと自噴しているのが分かります
湯治の方々は皆
泥を各所に塗り付け
身体を癒しています
日帰り入浴も遅くまで
受け付けている様です
泥の灰色というか白色というか
効能がバッチリ感じられる
鄙びた雰囲気抜群の
温泉宿です
終始、入浴時間にお客さんが多く
撮影ができませんでした
再訪の時に
またチャレンジします!
みうたん☆クローバーZの混浴ログ♪
【地獄温泉 清風荘】
みうたんお気に入り度☆☆☆☆
【住所】 熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陽2331
【☎︎】 0967-67-0005
【入浴料】 500円
【入浴時間】 要確認
【定休日】 不定休
【HP】 地獄温泉 清風荘
参考であり、変更もしくは過去のデータである恐れがありますのでご理解ください