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2017.01.27
またひとつ
またひとつ
logbook #239 塩沢温泉 湯元山荘跡地
岐阜県の山中にある旧高根村(現在は高山市)の小さな沢沿いに
温泉マニアには名の知れた野湯があることを知って
紅葉真っ盛りの木曽路にやってきました
高山市と南信州伊那を結ぶ木曽街道と
”あゝ野麦峠”で有名な野麦街道が交差する付近は
静かな集落が点在する田舎町
そこに数軒の宿が集まる小さな温泉地”塩沢温泉”があります
温泉地から外れ沢沿いの県道を数km進み
宿の看板らしきものが撤去されたものが目印
その空いたスペースに車を止め
木々に囲まれた細い坂道を沢に向かって下りていきます
見上げると両側に木々が迫り
ちょっと心細いです
様々なブロガーさん達の情報をもとに行ってみたのですが
初めて訪れる見知らぬ野湯はいつでも心細いものですね...
目的地に近づくにつれ沢を流れる水の音が響いてきます
やがて木々が途切れ開けた場所に降り立った場所が
「塩沢温泉 湯元山荘跡地」☆
心細さを更に煽るように”熊出没注意”の立て看板が目に入ります
そりゃ出るでしょう~といったロケーション
一応事前情報を集めていたので”熊鈴”は持参していきましたよ(笑)
備えあれば憂いなし!
で、肝心の野湯はというと...
おそらく”露天風呂”であろう湯船は
完全に落ち葉で覆われていて
とてもお湯が貯められている雰囲気ではないですね...
ワタシ達が訪問したのは2015年11月初め
2015年7月に訪問したというブロガーさんの情報では
車を止めた場所にチェーンがかかり”ここでの入浴はできません”の張り紙があるものの
幸い湯船にはお湯が貯められ藻や湯底のヌメヌメ感はあるものの
36度ほどのお湯になんとか入浴出来たそうです
とりあえず向こう岸に渡ってみましょう☆
露天風呂とを隔てる川にはなかなか立派な木の橋が架けられています
この場所の詳細はわかりませんが、1990年代に廃業したであろう”湯元山荘”という温泉宿跡らしく
その後は地元の有志の方達が建物や露天風呂を修繕し無料開放していました
一時期は建物内も清掃され、休憩やトイレなども使用できたと聞きます
そんな素晴らしい環境のもと廃墟とはいえ
全国から多くの温泉ファンが足を運ぶ有名な野湯として知れ渡っていました
今ではその建物も完全に取り壊され
そこに建物があったことすら想像もできません
石段を降りて露天風呂”跡”へ降りてみると
湯船の端の方にちょこっとだけお湯が溜まっていましたが
とても入れるお湯ではありませんでした
川の反対側にある源泉井戸からは一本の塩ビパイプが伸びていて
申し訳程度にお湯が出ています
手を当ててみるとかなりの温め
でも自分でエアプールでも持って来れば
そこにお湯をためることも可能な感じ
露天風呂から目の前の名もなき小さな川に向かって
豊富なお湯がかけ流されていたであろう痕跡として
温泉成分による析出物が見事な氷柱の様に形成されているのを見る事ができます
その後あるブロガーさんのレポートによると
2015年12月の段階ではついに高山市からの正式な立て看板が入り口に掲げられ
”平成27年11月をもちまして露天風呂を閉鎖いたしました
長い間ご利用ありがとうございうました”
と書かれていたそうです
ちょうどワタシ達が訪れたすぐ後...
今はお湯を送る塩ビパイプも取り除かれ
向こう岸に渡る橋も板が打ち付けられ渡れないようになっていたそうです
つまり完全に”立ち入り禁止”
多くの人に親しまれた人気の露天風呂も遂に終焉の時を迎えました
確かに橋が崩落したりお湯の衛生面、熊の被害などが出てしまうのも時間の問題と
市や地域の方達が判断したのでしょう
こればかりは仕方がない事ですね
人が立ち入らなくなった建物や場所というのは
あっという間に風化してしまいます
この場所もやがてもとの自然の形に戻っていく事でしょう
でも、ここを訪れた人たち、長い間露天風呂を愛し守ってきた有志の方々の記憶の中に
いつまで鮮明に残り続け語り継がれていく事と想います
秋の木曽路
またひとつ貴重なお湯が姿を消してしまいましたが
ワタシもココ”塩沢温泉 湯元山荘”の記憶の1ページに
しっかりと足跡を残してきました
みうたん☆クローバーZの混浴ログ♪
みうたんお気に入り度☆☆
【住所】 岐阜県高山市高根町上ヶ洞某所
【☎︎】
【入浴料】
【入浴時間】
【定休日】
【HP】
参考であり、変更もしくは過去のデータである恐れがありますのでご理解ください
ブログランキング
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logbook #239 塩沢温泉 湯元山荘跡地
岐阜県の山中にある旧高根村(現在は高山市)の小さな沢沿いに
温泉マニアには名の知れた野湯があることを知って
紅葉真っ盛りの木曽路にやってきました
高山市と南信州伊那を結ぶ木曽街道と
”あゝ野麦峠”で有名な野麦街道が交差する付近は
静かな集落が点在する田舎町
そこに数軒の宿が集まる小さな温泉地”塩沢温泉”があります
温泉地から外れ沢沿いの県道を数km進み
宿の看板らしきものが撤去されたものが目印
その空いたスペースに車を止め
木々に囲まれた細い坂道を沢に向かって下りていきます
見上げると両側に木々が迫り
ちょっと心細いです
様々なブロガーさん達の情報をもとに行ってみたのですが
初めて訪れる見知らぬ野湯はいつでも心細いものですね...
目的地に近づくにつれ沢を流れる水の音が響いてきます
やがて木々が途切れ開けた場所に降り立った場所が
「塩沢温泉 湯元山荘跡地」☆
心細さを更に煽るように”熊出没注意”の立て看板が目に入ります
そりゃ出るでしょう~といったロケーション
一応事前情報を集めていたので”熊鈴”は持参していきましたよ(笑)
備えあれば憂いなし!
で、肝心の野湯はというと...
おそらく”露天風呂”であろう湯船は
完全に落ち葉で覆われていて
とてもお湯が貯められている雰囲気ではないですね...
ワタシ達が訪問したのは2015年11月初め
2015年7月に訪問したというブロガーさんの情報では
車を止めた場所にチェーンがかかり”ここでの入浴はできません”の張り紙があるものの
幸い湯船にはお湯が貯められ藻や湯底のヌメヌメ感はあるものの
36度ほどのお湯になんとか入浴出来たそうです
とりあえず向こう岸に渡ってみましょう☆
露天風呂とを隔てる川にはなかなか立派な木の橋が架けられています
この場所の詳細はわかりませんが、1990年代に廃業したであろう”湯元山荘”という温泉宿跡らしく
その後は地元の有志の方達が建物や露天風呂を修繕し無料開放していました
一時期は建物内も清掃され、休憩やトイレなども使用できたと聞きます
そんな素晴らしい環境のもと廃墟とはいえ
全国から多くの温泉ファンが足を運ぶ有名な野湯として知れ渡っていました
今ではその建物も完全に取り壊され
そこに建物があったことすら想像もできません
石段を降りて露天風呂”跡”へ降りてみると
湯船の端の方にちょこっとだけお湯が溜まっていましたが
とても入れるお湯ではありませんでした
川の反対側にある源泉井戸からは一本の塩ビパイプが伸びていて
申し訳程度にお湯が出ています
手を当ててみるとかなりの温め
でも自分でエアプールでも持って来れば
そこにお湯をためることも可能な感じ
露天風呂から目の前の名もなき小さな川に向かって
豊富なお湯がかけ流されていたであろう痕跡として
温泉成分による析出物が見事な氷柱の様に形成されているのを見る事ができます
その後あるブロガーさんのレポートによると
2015年12月の段階ではついに高山市からの正式な立て看板が入り口に掲げられ
”平成27年11月をもちまして露天風呂を閉鎖いたしました
長い間ご利用ありがとうございうました”
と書かれていたそうです
ちょうどワタシ達が訪れたすぐ後...
今はお湯を送る塩ビパイプも取り除かれ
向こう岸に渡る橋も板が打ち付けられ渡れないようになっていたそうです
つまり完全に”立ち入り禁止”
多くの人に親しまれた人気の露天風呂も遂に終焉の時を迎えました
確かに橋が崩落したりお湯の衛生面、熊の被害などが出てしまうのも時間の問題と
市や地域の方達が判断したのでしょう
こればかりは仕方がない事ですね
人が立ち入らなくなった建物や場所というのは
あっという間に風化してしまいます
この場所もやがてもとの自然の形に戻っていく事でしょう
でも、ここを訪れた人たち、長い間露天風呂を愛し守ってきた有志の方々の記憶の中に
いつまで鮮明に残り続け語り継がれていく事と想います
秋の木曽路
またひとつ貴重なお湯が姿を消してしまいましたが
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2017.01.22
にごりご
にごりご
logbook #238 濁河温泉 旅館御嶽
☆PCビューで見る方がより画像の質が良くなります☆
秋の木曽路にやってきました☆
たくさん深呼吸をしたくなるような美味しい空気と
中山道の通る”奈良井宿”や妻籠宿”など歴史を感じる昔ながらの佇まい
山々の連なる大自然いっぱいの景色は
疲れた体をフル充電するには最高の場所ではないでしょうか
21峰ある3000m超の山の中で
もっとも西に位置する名峰”御嶽山”
この木曽を代表する山ですが
記憶にもまだ新しい2014年9月に起きた御嶽山噴火では
雲ひとつない快晴の休日、噴火警戒レベルは1だったにも関わらず
たくさんの登山客で賑わう火口付近で突如起こった大規模な水蒸気爆発で
登山者52名の尊い命を奪ってしまった国内戦後最悪の火山災害でした
お亡くなりになった方々にはご冥福をお祈り申し上げます
もともとこの山は”山岳信仰”の霊峰
長い歴史の中でたくさんの修験者を惹きつけてきた山です
国土の90%近くが山地である日本
狩猟民族の時代は人々に食料である獲物をもたらし
定住生活の始まった稲作文化以降は豊富な湧き水の恩恵を与え
山の火山エネルギーから湧出する温泉はもちろんの事
家屋の材料や生活の燃料など多くのものを与えてくれる”山”
時には土砂災害や大雨、洪水、干ばつなど
”恵み”と”脅威”を常にもたらす”山”への敬う気持ちが
やがて山岳信仰につながったと言われています
雲の間から顔をのぞかせる名峰”御嶽山”
今回はそんな木曽の人々の山岳信仰に深い関わりのある御嶽山の西麓の七合目
標高1800mにあるいで湯”濁河温泉”の宿「旅館御嶽」へ向かいました
ここは万座温泉同様、通年マイカーで行ける日本最高所の温泉(日本第3位)
濁河スキー場があったり、御嶽山飛騨側登山口にもなっており
近隣の「下島温泉」「湯屋温泉」と合わせたこの”小坂温泉郷”には多くの登山客や観光客が足を運びます
また夜になると、この辺りは光害の少ないことから天体観測にも適した場所でもあり
「旅館御嶽」では口径31センチの大きな望遠鏡を持つミニ天文台があり
満点の星空と天の川を楽しむ事もできます
「濁河温泉」...”にごりがわ”とずっと思っていましたが正確には”にごりご”と読むそうです
名前の由来かどうかは知りませんが濁河温泉のお湯は鉄分を含んだ”含土類芒硝泉”
この日は茶色い濁り色をしていましたが、宿の説明によれば天候の変化により
白~茶~鶯~エメラルドと色鮮やかに変わるとのことです
旅館御嶽の名物のひとつがこの渓谷露天風呂☆
深い谷の下にあるこの露天風呂に行くためには
160段の階段を降りていきます
10~15人ほどはゆったり入れる大きさで脱衣所もしっかり男女別
なのですが、脱衣所の扉を開けるとすぐ足元から湯船という作り
しかも間口が広くないので殿方に脱衣所付近を陣取られると
女性は入りずらいかもしれません
ただここは湯浴み、水着がOKなので大丈夫かな☆
ワタシ的にはどんな状況でも正装が一番ですが
v(。-_-。)vブイッ♪
お湯はさらっとした肌触りで湯加減はこの時期のせいか、やや温めかな?
木筒から流れ出る湧出口付近にいるとちょうど良い感じでした☆
もちろん100%掛け流しの源泉は飲泉もOKだそうです
この日チェックインしたのは遅めだったので
日帰り入浴の方はもういませんでした
紅葉の時期といのもあり大型観光バスも数台あり宿泊客は多いようで
混浴露天風呂も混雑を覚悟していたにも関わらず
ワタシ達のいた時間には一組のカップルさんと入れ違いになっただけで終始貸切状態!
山深い場所にありながら比較的規模の大きい大型ホテルの「旅館御嶽」
館内には男女別内湯とそれぞれに露天風呂があります
おそらく足腰の不自由な方や高齢者は
わざわざ高低差50mの160段の階段を上り下りしてまで..とは思わないのかもしれませんね
だったら館内の内湯でOK...みたいな
ましてや冬のシーズンともなれば
渓谷露天風呂まで降りていく階段や通路はかなり寒いハズ
でもその分ワタシ達はゆっくりと時間を過ごすことができました☆
明るい時間と夜の時間の2度もこの露天風呂へ入るなんて珍しいのかも(笑)
決してスタミナのあるワタシ達ではないのですが
カレの撮影心というか執念を感じます
江戸時代中期より山岳信仰の人々や
湯治目当てに訪れる人の多かった濁河温泉
御嶽山七合目に位置する山深いこの地に
湯治の人たちは何日もかけてやってきたことでしょう
160段の階段でヒイヒイ言っている自分が恥ずかしい...
今や観光地巡りでも旅行でも
その道中は”高速道路”という単調な同じような景色に慣れてしまいました
ちょっと前までは下道をゆっくりゆっくり進んで
今のどこにでもあるコンビニではなく
その地域ごとのドライブインなどを目印に
それだけで転地効果を楽しめたものです
自動車であっと今に過ぎる数kmの距離
その距離を昔の人は、どんな思いでどんな景色を目に焼き付けて旅をしたのかな
この日の夜も暖房の効いた部屋で暖かいお布団にくるまっていたワタシ達
”あたりまえ”になってしまった日常
雨が降ろうが風が吹こうが嵐が来ようが”あたりまえ”に変わらぬ毎日
恩恵も脅威も与えてくれる自然に全て対し
八百万の神を置き、明日の朝を向かえられる事を全身全霊で喜び
畏敬の念と感謝の気持ちを持ち続けた先人達のように
ワタシもこれからは少しづつ”あたりまえ”な事に
感謝の気持ちを持ちたいと思いました
みうたん☆クローバーZの混浴ログ♪
みうたんお気に入り度☆☆☆
【住所】 岐阜県下呂市小坂町落合唐谷2376-1
【☎︎】 0576-62-2124
【入浴料】 1,000円 (小人500円)
【入浴時間】 13:00~16:00
【定休日】 無休
【HP】 旅館御嶽
参考であり、変更もしくは過去のデータである恐れがありますのでご理解ください
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疲れた体をフル充電するには最高の場所ではないでしょうか
21峰ある3000m超の山の中で
もっとも西に位置する名峰”御嶽山”
この木曽を代表する山ですが
記憶にもまだ新しい2014年9月に起きた御嶽山噴火では
雲ひとつない快晴の休日、噴火警戒レベルは1だったにも関わらず
たくさんの登山客で賑わう火口付近で突如起こった大規模な水蒸気爆発で
登山者52名の尊い命を奪ってしまった国内戦後最悪の火山災害でした
お亡くなりになった方々にはご冥福をお祈り申し上げます
もともとこの山は”山岳信仰”の霊峰
長い歴史の中でたくさんの修験者を惹きつけてきた山です
国土の90%近くが山地である日本
狩猟民族の時代は人々に食料である獲物をもたらし
定住生活の始まった稲作文化以降は豊富な湧き水の恩恵を与え
山の火山エネルギーから湧出する温泉はもちろんの事
家屋の材料や生活の燃料など多くのものを与えてくれる”山”
時には土砂災害や大雨、洪水、干ばつなど
”恵み”と”脅威”を常にもたらす”山”への敬う気持ちが
やがて山岳信仰につながったと言われています
雲の間から顔をのぞかせる名峰”御嶽山”
今回はそんな木曽の人々の山岳信仰に深い関わりのある御嶽山の西麓の七合目
標高1800mにあるいで湯”濁河温泉”の宿「旅館御嶽」へ向かいました
ここは万座温泉同様、通年マイカーで行ける日本最高所の温泉(日本第3位)
濁河スキー場があったり、御嶽山飛騨側登山口にもなっており
近隣の「下島温泉」「湯屋温泉」と合わせたこの”小坂温泉郷”には多くの登山客や観光客が足を運びます
また夜になると、この辺りは光害の少ないことから天体観測にも適した場所でもあり
「旅館御嶽」では口径31センチの大きな望遠鏡を持つミニ天文台があり
満点の星空と天の川を楽しむ事もできます
「濁河温泉」...”にごりがわ”とずっと思っていましたが正確には”にごりご”と読むそうです
名前の由来かどうかは知りませんが濁河温泉のお湯は鉄分を含んだ”含土類芒硝泉”
この日は茶色い濁り色をしていましたが、宿の説明によれば天候の変化により
白~茶~鶯~エメラルドと色鮮やかに変わるとのことです
旅館御嶽の名物のひとつがこの渓谷露天風呂☆
深い谷の下にあるこの露天風呂に行くためには
160段の階段を降りていきます
10~15人ほどはゆったり入れる大きさで脱衣所もしっかり男女別
なのですが、脱衣所の扉を開けるとすぐ足元から湯船という作り
しかも間口が広くないので殿方に脱衣所付近を陣取られると
女性は入りずらいかもしれません
ただここは湯浴み、水着がOKなので大丈夫かな☆
ワタシ的にはどんな状況でも正装が一番ですが
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お湯はさらっとした肌触りで湯加減はこの時期のせいか、やや温めかな?
木筒から流れ出る湧出口付近にいるとちょうど良い感じでした☆
もちろん100%掛け流しの源泉は飲泉もOKだそうです
この日チェックインしたのは遅めだったので
日帰り入浴の方はもういませんでした
紅葉の時期といのもあり大型観光バスも数台あり宿泊客は多いようで
混浴露天風呂も混雑を覚悟していたにも関わらず
ワタシ達のいた時間には一組のカップルさんと入れ違いになっただけで終始貸切状態!
山深い場所にありながら比較的規模の大きい大型ホテルの「旅館御嶽」
館内には男女別内湯とそれぞれに露天風呂があります
おそらく足腰の不自由な方や高齢者は
わざわざ高低差50mの160段の階段を上り下りしてまで..とは思わないのかもしれませんね
だったら館内の内湯でOK...みたいな
ましてや冬のシーズンともなれば
渓谷露天風呂まで降りていく階段や通路はかなり寒いハズ
でもその分ワタシ達はゆっくりと時間を過ごすことができました☆
明るい時間と夜の時間の2度もこの露天風呂へ入るなんて珍しいのかも(笑)
決してスタミナのあるワタシ達ではないのですが
カレの撮影心というか執念を感じます
江戸時代中期より山岳信仰の人々や
湯治目当てに訪れる人の多かった濁河温泉
御嶽山七合目に位置する山深いこの地に
湯治の人たちは何日もかけてやってきたことでしょう
160段の階段でヒイヒイ言っている自分が恥ずかしい...
今や観光地巡りでも旅行でも
その道中は”高速道路”という単調な同じような景色に慣れてしまいました
ちょっと前までは下道をゆっくりゆっくり進んで
今のどこにでもあるコンビニではなく
その地域ごとのドライブインなどを目印に
それだけで転地効果を楽しめたものです
自動車であっと今に過ぎる数kmの距離
その距離を昔の人は、どんな思いでどんな景色を目に焼き付けて旅をしたのかな
この日の夜も暖房の効いた部屋で暖かいお布団にくるまっていたワタシ達
”あたりまえ”になってしまった日常
雨が降ろうが風が吹こうが嵐が来ようが”あたりまえ”に変わらぬ毎日
恩恵も脅威も与えてくれる自然に全て対し
八百万の神を置き、明日の朝を向かえられる事を全身全霊で喜び
畏敬の念と感謝の気持ちを持ち続けた先人達のように
ワタシもこれからは少しづつ”あたりまえ”な事に
感謝の気持ちを持ちたいと思いました
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2017.01.17
ばばだに?
ばばだに?
logbook #237 黒部峡谷 祖母谷温泉
☆PCビューで見る方がより画像の質が良くなります☆
高度経済成長時代に突入する昭和初期の我が日本
国内の電気供給の需要を拡大するため
大自然を相手に世紀の難工事として注目を浴び
その後ノンフィクション物語として取り上げられた
「黒部の太陽」や「高熱隧道」
多くの死者を出すほどのその舞台となったのが
日本最後の秘境「黒部峡谷」です
長い間、人を寄せ付ける事のなかった深いV字峡谷や切り立った断崖絶壁は
まさにここは日本なの?と錯覚させるダイナミックな景色が広がります
今でこそ黒部第四ダムは長野県大町側からは専用のトロリーバスで
宇奈月温泉側からは20km先の欅平までの交通手段があり
毎年多くの観光客の目を楽しませてくれますが
でもそれは深く険しい黒部峡谷の一部に過ぎず
多くは未だ手つかずの自然が残され”徒歩”という手段のみ
いわば自己責任下での冒険という限定された世界のままです
今回目指した温泉は
宇奈月温泉からトロッコ列車で1時間20分揺られた終点の欅平から
黒部川の支流である祖母谷川沿いを徒歩で約50分(片道2.5km)歩いた先にある
「祖母谷(ばばだに)温泉」☆
”そぼだに”ではなく”ばばだに”??
ということは”祖父谷(じじだに)”もあったりして...と思ったら
実際に祖母谷を進むと温泉小屋付近でさらに支流の”祖父谷川”と合流していました
目的地に向かう歩行道路から下を覗くと
切り立った断崖の下に支流の流れを見ることができます
さすが黒部峡谷☆深い谷が続きますね
名剣温泉という意見宿を過ぎ、3つのトンネルを抜けると
そこにはワタシ達を快く出迎えてくれるかの様に
快晴の澄んだ青空のもと紅葉のまだ少し残る祖母谷の地に
「山小屋 祖母谷温泉」はありました
心細く静かな工事専用道路を進んできた後だけに
山小屋が見えた時には
程よい安堵感と嬉しさが溢れてくるものですね
祖母谷は白馬岳や唐松岳登山の登山道入り口にもなっていることから
重装備の本気の登山者?の重要な山小屋になっているそうです
定員50名の山小屋もハイシーズンにはテン場まで混み合うほどの人気
それもひとつはここの目玉である露天風呂がある事と
もうひとつ、この宿の気さくなご主人と女将さんだと聞きます
ちなみに現在の女将さんは四代目だそうで
この山小屋の初代佐伯源次郎さんは著名な登山家の一人
あの名峰剣岳の”源次郎尾根ルート”を開いた方だそうです
そして5代目の息子さんは現在富山山岳救助隊で活躍中とのこと..
地は争えないといいますか、さすがは血統!素晴らしい血筋ですね
ここの大自然を望みながらの至福の露天風呂の存在は
他のブログなどですでに知っていたので、いつかは!と思い訪れたのですが...
ご主人に聞いたら「うちに混浴の露天風呂はないですよ」とのこと..
じぇじぇ....
これは混浴めぐりにはよくある事で(混浴廃止になった・宿が廃業していたなど)
わざわざやってきた身として結構なダメージがあります
が...今回はわざわざ”徒歩”で山道をやってきた身!
かなりのダメージをいただきました...
でも!でもでも!
山小屋からさらに上流を進めば祖母谷温泉の源泉地帯「祖母谷地獄」があるとの事
今回は予定変更☆大自然の野湯を楽しむ事にしました
およそ数百m上流へ進むと、見えてきました~
一面の河原から黙々と湯気が立ち上っています
まさに地獄♪
河原の至る所からはお湯が湧き上がり
石や岩には硫黄成分が付着しているのがわかります
そんな湯けむりを抜け河原へ到着☆
温泉の湧き出ているところの湯加減は....激熱です(汗)
猛烈に熱いです!!
前に訪れた黒部峡谷の黒薙温泉や鐘釣温泉もしかりで
やはり黒部峡谷から湧き出る大地のエネルギー、息吹は凄まじく
”生きている地球”を感じずにいられません
その源泉温度はなんと98度!!沸騰直前の温泉です
とりあえずはまず落ち着いてヌギヌギ(笑)
さっそく正装でいい湯加減のポイントを探します
今回はスコップを持参していなかったので
マイ湯船を作る事はできません
本当はうまくポイントを見つけ、そこにお湯をためて
うまく川の冷水を入れて湯加減を調節するのがいいのですが...
なのですでに先人達が作り立ち去ったであろう湯だまりを見つけ
ヤドカリの引っ越しの如く適温の湯だまりを探します
これが一苦労...
熱すぎたり、冷たすぎたりとなかなかいい湯加減が見つからず
最終的には川の中から湧き上がるポイントを見つけて入る事に☆
体の右側は適温なのですが、左側は完全に川の水状態
それでいて足元やお尻は激アツレベル...という感じで
一言で言うと「熱冷たい」という表現がぴったりですね(笑)
膝までは熱めでも足先は冷たい...みたいな
それでも何とか温泉気分を味わう事が出来ました☆
体はポカポカ♪
これでここまで苦労して歩いてきた甲斐がありますね♪
このような野湯ではスコップはもちろんの事
もう一つ忘れてはならないのが”沢歩きシューズ”や”クロックス”的なもの
川底や湯底がとても熱い事や
そもそも地熱が伝わった岩や河原の石自体が”焼き石”のようになっている事もあるので
それを知らずに大火傷なんてこともあります。
特に黒部の野湯はその危険性が大!
なので初めて行く方は、湯だまりを見つけても
慌てず、興奮せず(笑)、しっかり全体の温度を確認して入浴して下さいね
今回ワタシ達を快く向かい入れてくれるかのようだった黒部峡谷の快晴の青空☆
こんな時に感じる空の高さや風の流れ、空気の美味しさは
なかなか普段では感じることもできませんし
いつのまにか鈍ってしまった五感ではないでしょうか
ワタシにとっても多くの人たちにとっても
体の中にはなくてはならない自然と戯れる癒しの時間♪
でも普段の生活ではなかなか摂取しずらいビタミン&ミネラルのようで
だからこそこのような時間をサプリメントのように
常に入れていくことで
心身ともに健全な状態になれるのだと思っています
そんなことを教えてくれた黒部の大自然に
心から感謝!
みうたん☆クローバーZの混浴ログ♪
みうたんお気に入り度☆☆☆☆☆
【住所】 富山県黒部市宇奈月町黒部奥山国有林内
【☎︎】 0765-62-1038(山小屋 祖母谷温泉)
【入浴料】 500円 (祖母谷地獄の野湯は無料)
【入浴時間】 10:00~16:00 (祖母谷地獄の野湯は24h)
【定休日】 11月8日~6月18日
【HP】
参考であり、変更もしくは過去のデータである恐れがありますのでご理解ください
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logbook #237 黒部峡谷 祖母谷温泉
☆PCビューで見る方がより画像の質が良くなります☆
高度経済成長時代に突入する昭和初期の我が日本
国内の電気供給の需要を拡大するため
大自然を相手に世紀の難工事として注目を浴び
その後ノンフィクション物語として取り上げられた
「黒部の太陽」や「高熱隧道」
多くの死者を出すほどのその舞台となったのが
日本最後の秘境「黒部峡谷」です
長い間、人を寄せ付ける事のなかった深いV字峡谷や切り立った断崖絶壁は
まさにここは日本なの?と錯覚させるダイナミックな景色が広がります
今でこそ黒部第四ダムは長野県大町側からは専用のトロリーバスで
宇奈月温泉側からは20km先の欅平までの交通手段があり
毎年多くの観光客の目を楽しませてくれますが
でもそれは深く険しい黒部峡谷の一部に過ぎず
多くは未だ手つかずの自然が残され”徒歩”という手段のみ
いわば自己責任下での冒険という限定された世界のままです
今回目指した温泉は
宇奈月温泉からトロッコ列車で1時間20分揺られた終点の欅平から
黒部川の支流である祖母谷川沿いを徒歩で約50分(片道2.5km)歩いた先にある
「祖母谷(ばばだに)温泉」☆
”そぼだに”ではなく”ばばだに”??
ということは”祖父谷(じじだに)”もあったりして...と思ったら
実際に祖母谷を進むと温泉小屋付近でさらに支流の”祖父谷川”と合流していました
目的地に向かう歩行道路から下を覗くと
切り立った断崖の下に支流の流れを見ることができます
さすが黒部峡谷☆深い谷が続きますね
名剣温泉という意見宿を過ぎ、3つのトンネルを抜けると
そこにはワタシ達を快く出迎えてくれるかの様に
快晴の澄んだ青空のもと紅葉のまだ少し残る祖母谷の地に
「山小屋 祖母谷温泉」はありました
心細く静かな工事専用道路を進んできた後だけに
山小屋が見えた時には
程よい安堵感と嬉しさが溢れてくるものですね
祖母谷は白馬岳や唐松岳登山の登山道入り口にもなっていることから
重装備の本気の登山者?の重要な山小屋になっているそうです
定員50名の山小屋もハイシーズンにはテン場まで混み合うほどの人気
それもひとつはここの目玉である露天風呂がある事と
もうひとつ、この宿の気さくなご主人と女将さんだと聞きます
ちなみに現在の女将さんは四代目だそうで
この山小屋の初代佐伯源次郎さんは著名な登山家の一人
あの名峰剣岳の”源次郎尾根ルート”を開いた方だそうです
そして5代目の息子さんは現在富山山岳救助隊で活躍中とのこと..
地は争えないといいますか、さすがは血統!素晴らしい血筋ですね
ここの大自然を望みながらの至福の露天風呂の存在は
他のブログなどですでに知っていたので、いつかは!と思い訪れたのですが...
ご主人に聞いたら「うちに混浴の露天風呂はないですよ」とのこと..
じぇじぇ....
これは混浴めぐりにはよくある事で(混浴廃止になった・宿が廃業していたなど)
わざわざやってきた身として結構なダメージがあります
が...今回はわざわざ”徒歩”で山道をやってきた身!
かなりのダメージをいただきました...
でも!でもでも!
山小屋からさらに上流を進めば祖母谷温泉の源泉地帯「祖母谷地獄」があるとの事
今回は予定変更☆大自然の野湯を楽しむ事にしました
およそ数百m上流へ進むと、見えてきました~
一面の河原から黙々と湯気が立ち上っています
まさに地獄♪
河原の至る所からはお湯が湧き上がり
石や岩には硫黄成分が付着しているのがわかります
そんな湯けむりを抜け河原へ到着☆
温泉の湧き出ているところの湯加減は....激熱です(汗)
猛烈に熱いです!!
前に訪れた黒部峡谷の黒薙温泉や鐘釣温泉もしかりで
やはり黒部峡谷から湧き出る大地のエネルギー、息吹は凄まじく
”生きている地球”を感じずにいられません
その源泉温度はなんと98度!!沸騰直前の温泉です
とりあえずはまず落ち着いてヌギヌギ(笑)
さっそく正装でいい湯加減のポイントを探します
今回はスコップを持参していなかったので
マイ湯船を作る事はできません
本当はうまくポイントを見つけ、そこにお湯をためて
うまく川の冷水を入れて湯加減を調節するのがいいのですが...
なのですでに先人達が作り立ち去ったであろう湯だまりを見つけ
ヤドカリの引っ越しの如く適温の湯だまりを探します
これが一苦労...
熱すぎたり、冷たすぎたりとなかなかいい湯加減が見つからず
最終的には川の中から湧き上がるポイントを見つけて入る事に☆
体の右側は適温なのですが、左側は完全に川の水状態
それでいて足元やお尻は激アツレベル...という感じで
一言で言うと「熱冷たい」という表現がぴったりですね(笑)
膝までは熱めでも足先は冷たい...みたいな
それでも何とか温泉気分を味わう事が出来ました☆
体はポカポカ♪
これでここまで苦労して歩いてきた甲斐がありますね♪
このような野湯ではスコップはもちろんの事
もう一つ忘れてはならないのが”沢歩きシューズ”や”クロックス”的なもの
川底や湯底がとても熱い事や
そもそも地熱が伝わった岩や河原の石自体が”焼き石”のようになっている事もあるので
それを知らずに大火傷なんてこともあります。
特に黒部の野湯はその危険性が大!
なので初めて行く方は、湯だまりを見つけても
慌てず、興奮せず(笑)、しっかり全体の温度を確認して入浴して下さいね
今回ワタシ達を快く向かい入れてくれるかのようだった黒部峡谷の快晴の青空☆
こんな時に感じる空の高さや風の流れ、空気の美味しさは
なかなか普段では感じることもできませんし
いつのまにか鈍ってしまった五感ではないでしょうか
ワタシにとっても多くの人たちにとっても
体の中にはなくてはならない自然と戯れる癒しの時間♪
でも普段の生活ではなかなか摂取しずらいビタミン&ミネラルのようで
だからこそこのような時間をサプリメントのように
常に入れていくことで
心身ともに健全な状態になれるのだと思っています
そんなことを教えてくれた黒部の大自然に
心から感謝!
みうたん☆クローバーZの混浴ログ♪
みうたんお気に入り度☆☆☆☆☆
【住所】 富山県黒部市宇奈月町黒部奥山国有林内
【☎︎】 0765-62-1038(山小屋 祖母谷温泉)
【入浴料】 500円 (祖母谷地獄の野湯は無料)
【入浴時間】 10:00~16:00 (祖母谷地獄の野湯は24h)
【定休日】 11月8日~6月18日
【HP】
参考であり、変更もしくは過去のデータである恐れがありますのでご理解ください
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2017.01.07
六文銭の宿☆
六文銭の宿☆
logbook #236 信州角間温泉 岩屋館
☆PCビューで見る方がより画像の質が良くなります☆
信州上田といえば2016年大人気だった大河ドラマ”真田丸”の舞台でありの
彼らの正真正銘の地元、真田家の居城のひとつ上田城があります
もともと小豪族だった真田家ですが
真田の祖である真田幸綱(幸隆)から昌幸、そして信繁(幸村)へと受け継がれた
戦国きっての智謀の一族として知られていますね
その真田一族のもともとの山城のあった場所には”真田の里”とよばれるエリアがあり
現在も上田市内から車で20分ほどの国道144号線に”真田”という地名が残っています
そこから深い渓谷沿いを少し走ると、この地に”真田家の隠し湯”とよばれる秘湯があり
そのロケーションも”隠し湯”らしく、角間(かくま)渓谷という奇岩怪石が作り上げるその様は
まさに真田家のイメージにはピッタリの場所
その秘湯の一軒宿が今回ご紹介する「角間温泉 岩屋館」です
親鸞上人が京楽の途中、ひどい腰痛に倒れた時にこの湯で奥方が全快したと古くから伝わります
また、角間渓谷に棲んでいた妖怪を封じるため坂上田村麻呂が祀った岩屋観音がすぐ裏手にあることからその名前をとって1931年に創業した比較的歴史の浅い宿で
当時から地域の農閑期の農家の人たちの湯治場として栄えたそうです
宿の周りの景色を見てもお分かりの通り渓谷の中の一軒宿
この角間渓谷の中には所々に真田に関する名所があり
真田信繁に幼少期より仕えた猿飛佐助が、初めて信繁と出会った”幸村佐助謁見の地”や
戸沢白雲斎のもと佐助が修行したと伝わる岩を見ることができます
真田家は”草のもの(忍者)”使いに長けていた事は有名ですが
なるほどあの真田十勇士の伝説も、この切り立った渓谷が発祥だというのも頷けます
真田の旗印の一つ「三途の河の渡り賃」とされる”六文銭(六連銭)と真田十勇士の絵柄の入ったこの浴衣☆格好いいでしょ~♡
真田ファンにとってたまりませんね~
カレも「これもらえないかな~」とか「持っていっちゃおうか~」などブツブツと...(笑)
ワタシ達がここを訪れたのは”真田丸”放映前の2015年11月だったのですが
きっと去年一年間は多くの人で賑わった事でしょうね
鄙びた外観とは打って変わって館内はとても綺麗♪
歴史を感じさせつつも現代風にリニューアルされていて
角間渓谷の自然と真田の歴史を同時に感じさせる素晴らしい宿です
”展望ラウンジ”に大きく取られた窓からは自然そのままの渓谷が望め
ここでゆったりと時間を過ごすのも、温泉宿ならではの贅沢ではないでしょうか
館内には男女別の内湯にと足湯があり外階段のエントランスの先に混浴の露天風呂があります
別源泉の色の違うお湯のためられた二つの湯船☆
広くとられた露天風呂からは見上げると色づきの終わりに近付いた紅葉と、角間渓谷の切り立った岩肌が望める素晴らしい景色を見る事ができます
立地的にも静かでありながら
良くも悪くも立ち湯より湯や日帰りは不可の宿なので
全15室の岩屋館では、どの時間でもゆったりと湯浴みを楽しめます
二つの湯船のうちのひとつ”茶褐色”の湯船は
ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉
温度は温めです
もともと角間温泉は17度の冷鉱泉だったところを
2006年にボーリング掘削を行い現在の炭酸泉が湧出したそうです
源泉は無色透明の49℃なのですが、地表に出ると炭酸が気化し熱を奪い浴槽では34℃ほどになり、空気に触れる事でこの様な茶褐色になるそうです
もうひとつの無色透明のお湯は「真田の名水」と呼ばれる湧き水で
古くから真田家の茶の湯としても伝承されてきた名水を41℃に加熱循環し
隣の炭酸泉の”上がり湯”となります
館内には飲泉処もあり、この「真田の名水」と別源泉の「養命水」という胃腸の働きに良いとされる飲泉もできます
夏の季節は茶褐色の炭酸泉はゆっくりと長湯を楽しむ事が出来そうですが
冬の季節にはちょっと温度がぬるいので、上がり湯と交互に入浴するといいでしょう☆
お湯の肌触りの”触覚”、飲泉での”味覚”、自然を感じられる”嗅覚”
明るい時間に見る事のできる角間渓谷の絶景や夜の柔らかい光に照らされる露天風呂の”視覚”
そして人里離れた渓谷ならではの静けさの中、お湯の音だけが素晴らしいBGMのように響き渡る”聴覚”などワタシの中の”五感”が研ぎ澄まされていくのが物凄く感じられます
小豪族の身でありながら戦国の世で、名だたる武将たちを相手にその名を馳せた真田一族☆
父昌幸が三方ヶ原の戦いで、親子二代で第一次・第二次上田合戦で、そして信繁が大阪冬の陣にて合計4度に渡り徳川を蹴散らした様は当時から現代に至るまで語り継がれています
武田家の家臣から始まり織田~北条(徳川)~上杉~豊臣と次々と主君を変えていった真田昌幸は
「表裏比興(ひきょう)の者」と呼ばれましたが、これは卑怯という言葉にかけたむしろ賞賛の意味があり
小国の武将が生き残るための知恵であり戦略でもありました
脚光をあびる事の多い真田信繁(幸村)の生き方
豊臣家への忠誠を死をもって貫いたまっすぐな生き方
何より天下の徳川家康を追い詰めた勇姿は
その後300年近く続く徳川政権に反発する一般大衆の心を捉えるには最高の英雄像だった事でしょう
のちに長きにわたり歌舞伎や人形浄瑠璃でも人気の演目とされました
ただし徳川の目の光る時代においては”真田信繁”という名前はご法度...
そのために物語の登場人物の名前や時代を変えても尚人気の演目として語り継がれてきたのです
なので信繁自身、将来”幸村”と呼ばれているなんて思いもしなかったでしょうね☆
(真田丸本編では自身が”幸村”と名乗っていましたが、あれはどうかと...汗)
そんな信繁とは違った生き方の父昌幸
真田一族の物語の中の名場面”犬伏の別れ”において
豊臣に着いたのは忠誠でも恩義でもなく”真田”の存続のため
一生主君と誓った武田信玄公から引き継いだ”真田の地”を守るため☆
大阪冬の陣の後、信繁は家康から
「寝返れば、信濃一国を差し出す」との絶好の好条件を持ちかけらます
浪人の身だった信繁
豊臣家からのオファー金額は現在価値に換算すると数十億とも言われています
そこに今までの事は水に流し信濃の一国を与えられる...
ワタシだった絶対に寝返り決定!(笑)
しかしながら信繁は全くの無視....
もしこの時に父昌幸が生きていたら..
間違いなく寝返ったと思います
そして信濃の大大名として歴史に刻まれた事でしょう
でもそれは”たられば”論。
そこで寝返っていたら、今に伝わる信繁の物語はなかったですものね
”勝者の史実”の中で、敗者でありながら英雄視される人物は信繁と楠木正成くらいじゃないでしょうか?
”忠誠を誓う”という教えは、のちの倒幕藩士にも多大なる影響を与えた事実を考えると
時代が求めた英雄だったのかもしれませんね
話が歴史の話で糸がズレてしまいましたが....(汗)
父昌幸や真田信繁・信之が幼少時代を過ごした真田の里
「岩屋館」の露天風呂に浸かりながら
戦国の世に深く名前を刻んだ彼らの物語に思いを馳せていました
その夜、浴衣ではありますが”六文銭”に身を包み
少しでも”真田”にあやかりたいな~と考えながら
その夜は長湯したせいもあり
ぐっすり爆睡しました(笑)
「ワタシは日本一の混浴王になる~」
(*vωv)zzz. oO
みうたん☆クローバーZの混浴ログ♪
みうたんお気に入り度☆☆☆☆☆
【住所】 長野県上田市真田町長2868
【☎︎】 0268-72-2323
【入浴料】 立ち寄り・日帰り不可
【入浴時間】
【定休日】 無休
【HP】 岩屋館HP
参考であり、変更もしくは過去のデータである恐れがありますのでご理解ください
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logbook #236 信州角間温泉 岩屋館
☆PCビューで見る方がより画像の質が良くなります☆
信州上田といえば2016年大人気だった大河ドラマ”真田丸”の舞台でありの
彼らの正真正銘の地元、真田家の居城のひとつ上田城があります
もともと小豪族だった真田家ですが
真田の祖である真田幸綱(幸隆)から昌幸、そして信繁(幸村)へと受け継がれた
戦国きっての智謀の一族として知られていますね
その真田一族のもともとの山城のあった場所には”真田の里”とよばれるエリアがあり
現在も上田市内から車で20分ほどの国道144号線に”真田”という地名が残っています
そこから深い渓谷沿いを少し走ると、この地に”真田家の隠し湯”とよばれる秘湯があり
そのロケーションも”隠し湯”らしく、角間(かくま)渓谷という奇岩怪石が作り上げるその様は
まさに真田家のイメージにはピッタリの場所
その秘湯の一軒宿が今回ご紹介する「角間温泉 岩屋館」です
親鸞上人が京楽の途中、ひどい腰痛に倒れた時にこの湯で奥方が全快したと古くから伝わります
また、角間渓谷に棲んでいた妖怪を封じるため坂上田村麻呂が祀った岩屋観音がすぐ裏手にあることからその名前をとって1931年に創業した比較的歴史の浅い宿で
当時から地域の農閑期の農家の人たちの湯治場として栄えたそうです
宿の周りの景色を見てもお分かりの通り渓谷の中の一軒宿
この角間渓谷の中には所々に真田に関する名所があり
真田信繁に幼少期より仕えた猿飛佐助が、初めて信繁と出会った”幸村佐助謁見の地”や
戸沢白雲斎のもと佐助が修行したと伝わる岩を見ることができます
真田家は”草のもの(忍者)”使いに長けていた事は有名ですが
なるほどあの真田十勇士の伝説も、この切り立った渓谷が発祥だというのも頷けます
真田の旗印の一つ「三途の河の渡り賃」とされる”六文銭(六連銭)と真田十勇士の絵柄の入ったこの浴衣☆格好いいでしょ~♡
真田ファンにとってたまりませんね~
カレも「これもらえないかな~」とか「持っていっちゃおうか~」などブツブツと...(笑)
ワタシ達がここを訪れたのは”真田丸”放映前の2015年11月だったのですが
きっと去年一年間は多くの人で賑わった事でしょうね
鄙びた外観とは打って変わって館内はとても綺麗♪
歴史を感じさせつつも現代風にリニューアルされていて
角間渓谷の自然と真田の歴史を同時に感じさせる素晴らしい宿です
”展望ラウンジ”に大きく取られた窓からは自然そのままの渓谷が望め
ここでゆったりと時間を過ごすのも、温泉宿ならではの贅沢ではないでしょうか
館内には男女別の内湯にと足湯があり外階段のエントランスの先に混浴の露天風呂があります
別源泉の色の違うお湯のためられた二つの湯船☆
広くとられた露天風呂からは見上げると色づきの終わりに近付いた紅葉と、角間渓谷の切り立った岩肌が望める素晴らしい景色を見る事ができます
立地的にも静かでありながら
良くも悪くも立ち湯より湯や日帰りは不可の宿なので
全15室の岩屋館では、どの時間でもゆったりと湯浴みを楽しめます
二つの湯船のうちのひとつ”茶褐色”の湯船は
ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉
温度は温めです
もともと角間温泉は17度の冷鉱泉だったところを
2006年にボーリング掘削を行い現在の炭酸泉が湧出したそうです
源泉は無色透明の49℃なのですが、地表に出ると炭酸が気化し熱を奪い浴槽では34℃ほどになり、空気に触れる事でこの様な茶褐色になるそうです
もうひとつの無色透明のお湯は「真田の名水」と呼ばれる湧き水で
古くから真田家の茶の湯としても伝承されてきた名水を41℃に加熱循環し
隣の炭酸泉の”上がり湯”となります
館内には飲泉処もあり、この「真田の名水」と別源泉の「養命水」という胃腸の働きに良いとされる飲泉もできます
夏の季節は茶褐色の炭酸泉はゆっくりと長湯を楽しむ事が出来そうですが
冬の季節にはちょっと温度がぬるいので、上がり湯と交互に入浴するといいでしょう☆
お湯の肌触りの”触覚”、飲泉での”味覚”、自然を感じられる”嗅覚”
明るい時間に見る事のできる角間渓谷の絶景や夜の柔らかい光に照らされる露天風呂の”視覚”
そして人里離れた渓谷ならではの静けさの中、お湯の音だけが素晴らしいBGMのように響き渡る”聴覚”などワタシの中の”五感”が研ぎ澄まされていくのが物凄く感じられます
小豪族の身でありながら戦国の世で、名だたる武将たちを相手にその名を馳せた真田一族☆
父昌幸が三方ヶ原の戦いで、親子二代で第一次・第二次上田合戦で、そして信繁が大阪冬の陣にて合計4度に渡り徳川を蹴散らした様は当時から現代に至るまで語り継がれています
武田家の家臣から始まり織田~北条(徳川)~上杉~豊臣と次々と主君を変えていった真田昌幸は
「表裏比興(ひきょう)の者」と呼ばれましたが、これは卑怯という言葉にかけたむしろ賞賛の意味があり
小国の武将が生き残るための知恵であり戦略でもありました
脚光をあびる事の多い真田信繁(幸村)の生き方
豊臣家への忠誠を死をもって貫いたまっすぐな生き方
何より天下の徳川家康を追い詰めた勇姿は
その後300年近く続く徳川政権に反発する一般大衆の心を捉えるには最高の英雄像だった事でしょう
のちに長きにわたり歌舞伎や人形浄瑠璃でも人気の演目とされました
ただし徳川の目の光る時代においては”真田信繁”という名前はご法度...
そのために物語の登場人物の名前や時代を変えても尚人気の演目として語り継がれてきたのです
なので信繁自身、将来”幸村”と呼ばれているなんて思いもしなかったでしょうね☆
(真田丸本編では自身が”幸村”と名乗っていましたが、あれはどうかと...汗)
そんな信繁とは違った生き方の父昌幸
真田一族の物語の中の名場面”犬伏の別れ”において
豊臣に着いたのは忠誠でも恩義でもなく”真田”の存続のため
一生主君と誓った武田信玄公から引き継いだ”真田の地”を守るため☆
大阪冬の陣の後、信繁は家康から
「寝返れば、信濃一国を差し出す」との絶好の好条件を持ちかけらます
浪人の身だった信繁
豊臣家からのオファー金額は現在価値に換算すると数十億とも言われています
そこに今までの事は水に流し信濃の一国を与えられる...
ワタシだった絶対に寝返り決定!(笑)
しかしながら信繁は全くの無視....
もしこの時に父昌幸が生きていたら..
間違いなく寝返ったと思います
そして信濃の大大名として歴史に刻まれた事でしょう
でもそれは”たられば”論。
そこで寝返っていたら、今に伝わる信繁の物語はなかったですものね
”勝者の史実”の中で、敗者でありながら英雄視される人物は信繁と楠木正成くらいじゃないでしょうか?
”忠誠を誓う”という教えは、のちの倒幕藩士にも多大なる影響を与えた事実を考えると
時代が求めた英雄だったのかもしれませんね
話が歴史の話で糸がズレてしまいましたが....(汗)
父昌幸や真田信繁・信之が幼少時代を過ごした真田の里
「岩屋館」の露天風呂に浸かりながら
戦国の世に深く名前を刻んだ彼らの物語に思いを馳せていました
その夜、浴衣ではありますが”六文銭”に身を包み
少しでも”真田”にあやかりたいな~と考えながら
その夜は長湯したせいもあり
ぐっすり爆睡しました(笑)
「ワタシは日本一の混浴王になる~」
(*vωv)zzz. oO
みうたん☆クローバーZの混浴ログ♪
みうたんお気に入り度☆☆☆☆☆
【住所】 長野県上田市真田町長2868
【☎︎】 0268-72-2323
【入浴料】 立ち寄り・日帰り不可
【入浴時間】
【定休日】 無休
【HP】 岩屋館HP
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