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2017.01.07 六文銭の宿☆
六文銭の宿☆

logbook #236 信州角間温泉 岩屋館



☆PCビューで見る方がより画像の質が良くなります☆




信州上田といえば2016年大人気だった大河ドラマ”真田丸”の舞台でありの
彼らの正真正銘の地元、真田家の居城のひとつ上田城があります
もともと小豪族だった真田家ですが
真田の祖である真田幸綱(幸隆)から昌幸、そして信繁(幸村)へと受け継がれた
戦国きっての智謀の一族として知られていますね
その真田一族のもともとの山城のあった場所には”真田の里”とよばれるエリアがあり
現在も上田市内から車で20分ほどの国道144号線に”真田”という地名が残っています

角間温泉 昼7

そこから深い渓谷沿いを少し走ると、この地に”真田家の隠し湯”とよばれる秘湯があり
そのロケーションも”隠し湯”らしく、角間(かくま)渓谷という奇岩怪石が作り上げるその様は
まさに真田家のイメージにはピッタリの場所
その秘湯の一軒宿が今回ご紹介する「角間温泉 岩屋館」です

親鸞上人が京楽の途中、ひどい腰痛に倒れた時にこの湯で奥方が全快したと古くから伝わります
また、角間渓谷に棲んでいた妖怪を封じるため坂上田村麻呂が祀った岩屋観音がすぐ裏手にあることからその名前をとって1931年に創業した比較的歴史の浅い宿で
当時から地域の農閑期の農家の人たちの湯治場として栄えたそうです

宿の周りの景色を見てもお分かりの通り渓谷の中の一軒宿
この角間渓谷の中には所々に真田に関する名所があり
真田信繁に幼少期より仕えた猿飛佐助が、初めて信繁と出会った”幸村佐助謁見の地”や
戸沢白雲斎のもと佐助が修行したと伝わる岩を見ることができます
真田家は”草のもの(忍者)”使いに長けていた事は有名ですが
なるほどあの真田十勇士の伝説も、この切り立った渓谷が発祥だというのも頷けます

角間温泉 昼6

真田の旗印の一つ「三途の河の渡り賃」とされる”六文銭(六連銭)と真田十勇士の絵柄の入ったこの浴衣☆格好いいでしょ~♡
真田ファンにとってたまりませんね~
カレも「これもらえないかな~」とか「持っていっちゃおうか~」などブツブツと...(笑)
ワタシ達がここを訪れたのは”真田丸”放映前の2015年11月だったのですが
きっと去年一年間は多くの人で賑わった事でしょうね

鄙びた外観とは打って変わって館内はとても綺麗♪
歴史を感じさせつつも現代風にリニューアルされていて
角間渓谷の自然と真田の歴史を同時に感じさせる素晴らしい宿です

”展望ラウンジ”に大きく取られた窓からは自然そのままの渓谷が望め
ここでゆったりと時間を過ごすのも、温泉宿ならではの贅沢ではないでしょうか

角間温泉 岩屋館夜11

館内には男女別の内湯にと足湯があり外階段のエントランスの先に混浴の露天風呂があります
別源泉の色の違うお湯のためられた二つの湯船☆
広くとられた露天風呂からは見上げると色づきの終わりに近付いた紅葉と、角間渓谷の切り立った岩肌が望める素晴らしい景色を見る事ができます

立地的にも静かでありながら
良くも悪くも立ち湯より湯や日帰りは不可の宿なので
全15室の岩屋館では、どの時間でもゆったりと湯浴みを楽しめます

二つの湯船のうちのひとつ”茶褐色”の湯船は
ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉
温度は温めです

もともと角間温泉は17度の冷鉱泉だったところを
2006年にボーリング掘削を行い現在の炭酸泉が湧出したそうです
源泉は無色透明の49℃なのですが、地表に出ると炭酸が気化し熱を奪い浴槽では34℃ほどになり、空気に触れる事でこの様な茶褐色になるそうです

角間温泉 昼19

角間温泉 昼24

もうひとつの無色透明のお湯は「真田の名水」と呼ばれる湧き水で
古くから真田家の茶の湯としても伝承されてきた名水を41℃に加熱循環し
隣の炭酸泉の”上がり湯”となります

館内には飲泉処もあり、この「真田の名水」と別源泉の「養命水」という胃腸の働きに良いとされる飲泉もできます

夏の季節は茶褐色の炭酸泉はゆっくりと長湯を楽しむ事が出来そうですが
冬の季節にはちょっと温度がぬるいので、上がり湯と交互に入浴するといいでしょう☆

角間温泉 岩屋館夜30

お湯の肌触りの”触覚”、飲泉での”味覚”、自然を感じられる”嗅覚”
明るい時間に見る事のできる角間渓谷の絶景や夜の柔らかい光に照らされる露天風呂の”視覚”
そして人里離れた渓谷ならではの静けさの中、お湯の音だけが素晴らしいBGMのように響き渡る”聴覚”などワタシの中の”五感”が研ぎ澄まされていくのが物凄く感じられます

小豪族の身でありながら戦国の世で、名だたる武将たちを相手にその名を馳せた真田一族☆
父昌幸が三方ヶ原の戦いで、親子二代で第一次・第二次上田合戦で、そして信繁が大阪冬の陣にて合計4度に渡り徳川を蹴散らした様は当時から現代に至るまで語り継がれています
武田家の家臣から始まり織田~北条(徳川)~上杉~豊臣と次々と主君を変えていった真田昌幸は
「表裏比興(ひきょう)の者」と呼ばれましたが、これは卑怯という言葉にかけたむしろ賞賛の意味があり
小国の武将が生き残るための知恵であり戦略でもありました

脚光をあびる事の多い真田信繁(幸村)の生き方
豊臣家への忠誠を死をもって貫いたまっすぐな生き方
何より天下の徳川家康を追い詰めた勇姿は
その後300年近く続く徳川政権に反発する一般大衆の心を捉えるには最高の英雄像だった事でしょう
のちに長きにわたり歌舞伎や人形浄瑠璃でも人気の演目とされました

ただし徳川の目の光る時代においては”真田信繁”という名前はご法度...
そのために物語の登場人物の名前や時代を変えても尚人気の演目として語り継がれてきたのです
なので信繁自身、将来”幸村”と呼ばれているなんて思いもしなかったでしょうね☆
(真田丸本編では自身が”幸村”と名乗っていましたが、あれはどうかと...汗)

IMG_0281のコピー

そんな信繁とは違った生き方の父昌幸
真田一族の物語の中の名場面”犬伏の別れ”において
豊臣に着いたのは忠誠でも恩義でもなく”真田”の存続のため
一生主君と誓った武田信玄公から引き継いだ”真田の地”を守るため☆

大阪冬の陣の後、信繁は家康から
「寝返れば、信濃一国を差し出す」との絶好の好条件を持ちかけらます
浪人の身だった信繁
豊臣家からのオファー金額は現在価値に換算すると数十億とも言われています
そこに今までの事は水に流し信濃の一国を与えられる...
ワタシだった絶対に寝返り決定!(笑)
しかしながら信繁は全くの無視....

もしこの時に父昌幸が生きていたら..
間違いなく寝返ったと思います
そして信濃の大大名として歴史に刻まれた事でしょう
でもそれは”たられば”論。
そこで寝返っていたら、今に伝わる信繁の物語はなかったですものね

”勝者の史実”の中で、敗者でありながら英雄視される人物は信繁と楠木正成くらいじゃないでしょうか?
”忠誠を誓う”という教えは、のちの倒幕藩士にも多大なる影響を与えた事実を考えると
時代が求めた英雄だったのかもしれませんね

話が歴史の話で糸がズレてしまいましたが....(汗)

父昌幸や真田信繁・信之が幼少時代を過ごした真田の里
「岩屋館」の露天風呂に浸かりながら
戦国の世に深く名前を刻んだ彼らの物語に思いを馳せていました

その夜、浴衣ではありますが”六文銭”に身を包み
少しでも”真田”にあやかりたいな~と考えながら
その夜は長湯したせいもあり
ぐっすり爆睡しました(笑)

「ワタシは日本一の混浴王になる~」
(*vωv)zzz. oO

角間温泉 岩屋館夜34






みうたん☆クローバーZの混浴ログ♪

みうたんお気に入り度☆☆☆☆☆

【住所】 長野県上田市真田町長2868
【☎︎】 0268-72-2323
【入浴料】 立ち寄り・日帰り不可
【入浴時間】
【定休日】 無休

【HP】 岩屋館HP


参考であり、変更もしくは過去のデータである恐れがありますのでご理解ください

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